現在の展示



 松坂はことによき里にて(中略)富る家おほく、江戸に店といふ物をかまへおきて、手
代といふ物をおほくあらせて、あきなひせさせて、あるじは、国にのみ居てあそびをり、
うはべはさしもあらで、うちうちはいたくゆたかにおごりてわたる
                         (『玉勝間(たまがつま)』「伊勢国」)

(松阪はことのほかよい里で…豊かな家が多く、江戸に店を構えて多くの手代を雇い、商売をさせている。主人は国にいて遊んで暮らしており、一見そうでもないが、内実は大層裕福でぜいたくな生活をしている)

 今からさかのぼること220 年、本居宣長は「伊勢国」と題した一編の文章を書きました。古く『日本書紀』には「傍国の可怜し国(かたくにのうましくに)」【大和国の傍らにある、すばらしい国】と言われた伊勢国。宣長が72 年の生涯のうち大半を松阪で暮らし、江戸
や京都に移り住まなかったのは、故郷に対する愛着と、何よりも伊勢国という場所の力を感じていたからに他なりません。宣長とは切っても切れない縁で結ばれたご当地・伊勢国と宣長、活気ある参宮の様子や伊勢国の人々との交流を、「伊勢国」の文章とともにご紹介します。

  【会  期】   令和3年10 月1日(金)~同12 月26 日(日)※休館日を除く
  【展示説明会】  10 月16 日(土)、11 月13 日(土)、12 月18 日(土)
                        ※いずれも11:00 より(無料)
  【展示総数 】  82 種83 点 ※うち、国重要文化財37 種(変更あり)

  


【主要展示史料】
                            ◎……国重要文化財
◆ 伊勢国と宣長 

宣長は72 歳の頃に書いた「伊勢国」という文章。題の通り、人生の大半を過ごした故郷・伊勢国について、気候が穏やかで過ごしやすく、北から南まで平野が続いて伊勢参宮の旅人が絶えないこと、そうした人々でいつも町が賑わっていること、また松阪では多くの商家が江戸に店を出して商いをし、主人は地元で裕福な暮らしをしているといったことまで書かれており、宣長の目から見た当時の伊勢国像が伝わってきます。

『玉勝間』「伊勢国」草稿 本居宣長筆

◎『玉勝間』「伊勢国」草稿 本居宣長筆

『古事記』や『万葉集』の研究で宣長の頭を悩ませた、見たことのない動物や植物、訪れたことのない場所。理解のヒントをくれたのは、伊勢路を行き交う参宮客や商人、研究仲間でした。また、古典研究の師匠・賀茂真淵を知るきっかけも、出会うきっかけも松阪にいたからこそ手にすることができたものです。宣長が晩年にこうした文章を書いたのは、伊勢国に生まれたことに対する思いが強くなったからなのかもしれません。


 ★本展では「伊勢国」の文章に関連する史料も展示します。

◇ 町筋が歪んでいて、家の並び方はよくない
 →「松坂町絵図」(本居春庭写)には、
 江戸時代の松阪が描かれています。町を
 南北に縦断する伊勢街道や、宣長が好き
 ではなかった鍵状に折れる町筋など、当時
 の町の構造がよくわかる地図です。
      「松坂町絵図」(本居春庭写)
「松坂町絵図」(本居春庭写)

◇ 芝居、見せ物、神社、仏閣はすべてにぎやかだ
 →「伊勢州飯高郡松坂勝覧」は、宣長がまとめた
 松阪の地誌。町の名前を縦横に分けて整理する
 ほか、町内の寺社を列挙していて、多くの寺社が
 点在していた様子を知ることができる史料です。

    ◎「伊勢州飯高郡松坂勝覧」(宣長自筆)
 「伊勢州飯高郡松坂勝覧」(宣長自筆)

◇ 商家の主人は、松阪にいて遊んで暮らしている。
 →宣長にとって最初の門人になったのは、松阪の
 商家の主人たち。宣長が開催した『源氏物語』の
 講釈(勉強会)には、幾人もの商人たちが足しげ
 く通いました。
 この書簡は出欠を確認する回覧板。三井、殿村、
 中里など商人が名を連ね、彼らの学びに対する
 関心の高さがうかがわれます。
   ◎「本居宣長書簡(寛政11 年正月11 日付)」
 「伊勢州飯高郡松坂勝覧」(宣長自筆)

◆ 伊勢国の特色と神宮のおかげ 
 国のにぎはゝしきことは、大御神の宮にまうづる旅人たゆることなく、ことに春夏の程は、いといとにぎはゝしき事、大かた天ノ下にならびなし、
                            (『玉勝間』「伊勢国」)

(伊勢神宮に詣でる旅人は絶えることはなく、特に春夏はたいへん賑やかで、天下に並ぶ場所はないほどだ)

経済活動の活発化や生活の安定により、庶民の間にも旅行が普及した江戸時代。なかでも伊勢神宮は別格で、「一生に一度は伊勢神宮に行きたい、伊勢路が見たい」と人々が押しかけ、伊勢街道沿いの町は大いに賑わいました。松阪は東海道から分かれて伊勢へ続く伊勢街道(参宮街道)と、紀伊半島を東西に横断する和歌山街道が合流する場所でもあり、宣長は日夜、街道を行き来する参宮客たちの姿を目にしていたことでしょう。

「御師邸内図」 川口呉川画

「御師邸内図」 川口呉川画

「御師邸内図」は、伊勢参宮の流行に重要な役割を果たした御師(おんし)の邸宅、それも台所を描いた図です。御師は伊勢神宮の神職で、各地に出向いてお札や暦を配ったり、参宮客の案内や現地の世話役を務めたりするなど、諸国の檀家と神宮のパイプ役となった人々です。
お伊勢参りにおける欠かせない楽しみのひとつは、何と言っても現地で食べるごちそう。豪華な食事を心待ちにする参宮客たちに振る舞われる食材を見てみると、山の物も良し、海の物も良しの伊勢国らしく、松茸やタケノコ、鯛に伊勢エビ、炊きたての白飯……などにぎやかな様子が伝わってきます。


★ 初出品資料のご紹介 ★

「安田傳太夫宛宣長書簡」(寛政12 年)閏4 月4 日付 1通【個人蔵】

「安田傳太夫宛宣長書簡」(寛政12 年)閏4 月4 日付 1通【個人蔵】
 宣長が、娘婿で伊勢の御師・安田伝太夫(豊秋、後の廣治)に宛てた書簡。伊勢神宮、とくに外宮が祀る豊受大神の神格に関わる考察を記した著作『伊勢二宮さき竹の弁』の出版に関する動向や、孫・田鶴吉についての記述が見られ、寛政年間の宣長と伊勢の交流を知る史料です、また前段では、生まれたばかりの孫・田鶴吉がよく笑うようになったことを喜ぶ、祖父の顔も覗かせています。
                          (※『本居宣長全集』未収載)


「細見伊勢国絵図」木版

「細見伊勢国絵図」木版
       (寄贈史料)
宣長より少し後の時代、文政13 年(1830)に刊行された伊勢国全域の地図。東を海、西を山に囲まれた伊勢平野の様子がよくわかります。神宮人気から、参宮名所図会や神宮周囲の地図は江戸期から多かったものの、伊勢国全体の地図の刊行はやや遅れました。
   ※1階フロアに展示

 

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