過去の展示


秋の企画展


   商人に向かない宣長を医者の道へ導き、京都での修学を援助した母お勝。書簡や日記に時折存在感を見せる妻お勝。妹たち。3人の娘。宣長の門人は圧倒的に男性の割合が高く、多くの女性門人を擁した師賀茂真淵とは対照的でした。しかしそんな中にも、山鹿(熊本)から父母に連れられてやってきた帆足京(みさと)や、宣長との論争を繰り広げた伊勢の荒木田麗女、宣長の『源氏物語』講釈を聴講した紀州藩の清信院と備姫(のぶひめ)など、個性あふれる人々が大勢います。宣長の人生の岐路で、重要な役割を果たしてきた女性たちとの関わりを見つめる展示です。

  【展示総数】 75種406点(うち国重要文化財29種、県有形文化財1種)く
  【会  期】 令和5年(2023)9月5日(火)~ 12月3日(日)
  【展示説明会】9月16日(土)、10月21日(土)、11月25日(土)
    *いずれも午前11時~(1時間程度)*事前予約は必要ありません。
  【休館日】  月曜日(祝日の場合は翌平日)
  【開館時間】 9:00~17:00(最終入館時間 16:30)
  【入館料】  本居宣長記念館・本居宣長旧宅「鈴屋」共通
    大人 400円/大学生等 300円/小人(小学校4年生~高校生)200円
  【住  所】 松阪市殿町1536-7
  【電  話】 (0598)21-0312



~宣長と関わりのあった女性たち~
●家族・親戚
宣長が学問の道に進むことができたのは、何よりも母・勝のおかげです。商人の家に生まれながら商売に向かず、何をするよりも読書が好き!という宣長に、家業を継ぐのではなく医者として生計を立てる道筋を示し、あこがれの京都で学ぶことを許してくれたのは母・勝でした。宣長は後にそのことを回顧し、家の歴史をまとめた『家の昔物語』の中で、「恵勝大姉(※勝のこと)のはからひは、かへすかへすも有がたくぞおぼゆる」と感謝を述べています。今回は、晩年の宣長を支えた3人の娘たち(飛騨・美濃・能登)の関連資料も豊富に展示します。

『家の昔物語』
本居家の沿革を示した ◎『家の昔物語』
常盤雪行図
宣長の次女・美濃が、宣長の没後に歌を代筆した
「常盤雪行図」


●門人
宣長の門人は全国に約500人を数えましたが、その中でも女性門人はごくわずか。しかし、詠草のやりとりで宣長に歌の添削を受けた人や、贈答品のやりとりの記録(『音信到来帳』)など、残された史料から、それぞれの面影を思い描くことができます。
松阪本町の門人・荒木三野(あらき・みの)は、寛政12年(1800)に宣長に入門しました。宣長晩年の入門ではありましたが、歌の添削などを受け、また歌会の席にも積極的に参加した人物だということが分かっています。今回は、三野が宣長の霊前に手向けた詠草1枚を含む、5枚の色紙を貼り合わせた軸を展示します。



●その他の人々
宣長と交流のあった人々の中には、門人ではなかったものの、宣長と直接対面して古典の講釈(講義)を聴講した女性もいました。それが、清信院と備姫(のぶひめ)です。清信院は、紀州藩主・徳川治宝の祖母で、賀茂真淵の門人・八重の方としても知られる人物。寛政6年(1794)冬、藩主に招かれ和歌山へ古典講釈に出かけた宣長は、滞在中、清信院や、藩主の妹である備姫にも『源氏物語』などの講釈を行うことになりました。 古典に対する造詣が深く、賀茂真淵に和歌の手ほどきを受けていた清信院。同じ真淵門である宣長を、たいへん手厚く歓迎されました。

荒木三野色紙
「荒木三野色紙」
「寛政六年同十一年若山行日記」
清信院・備姫への講釈の様子が記録される ◎「寛政六年同十一年若山行日記」


▲ページトップへ