宣長を調べる楽しみ


 宣長を調べる醍醐味の一つは、72年の生涯を宣長自身の筆でたどることが出来る点にあります。『日記』の記述は出生前後まで遡り、ほぼ生涯に及び、葬儀についてもその次第を指示する『遺言書』や「碑面下書」などが残ります。
 それを補うものとして日常諸記録や、『家のむかし物語』など家史、『玉勝間』に載る回想記事、そして自画自賛像が伝来します。
 また、興味関心の推移や研究の過程については、覚書や旧蔵書、自筆稿本類が残されています。例えば宝暦10年(1760)頃は、宣長が『冠辞考』を読み『古事記』研究方法を模索していた時期ですが、『本居宣長随筆』や写本、諸記録を見ると『今昔物語』などの中世説話や、『吾妻鏡』、『明月記』などをこの前後集中して読んでいることもわかります。

 次に、一つ一つの事項が孤立しないで関連している点です。
 例えば、『来訪諸子姓名住国並聞名諸子』寛政2年11月条に、出雲国大庭村の神魂社神主秋上得国の名前が見えます。『古事記』手沢本には対面時の秋上氏の話のメモが貼り付けられ、『本居宣長随筆』では、対面が京都であったことが書かれ、その時の話も整理されて記述されます。また、板本『古事記伝』巻十「おひつぎの考」は、秋上氏の話による加筆です。秋上氏のことは門人横井千秋に宛てた宣長書簡にも見えます。これらのことは、『本居宣長全集』でもある程度までは調べられますが、手沢本などを見ると一層広く深く関係を探ることが出来ます。
 また、特に天明・寛政・享和年間の情報の豊富な点も、調べる楽しみを倍増させます。現在作成中の「本居宣長年譜(HP版)」には、ほぼ毎日の動向が記されます。
 先頃開催された東京古典会(平成14年11月24日)出品の「本居宣長書状 千家清主宛、一幅」の写真をよく見てみましょう。まず、「当夏迄に古事記伝終業仕、生涯の大望成就仕致候、大悦仕候」と書かれていて、『古事記伝』が全巻終業した寛政10年書簡であることが推定されます。またこれを『本居宣長全集』第17巻「書簡集」や、同別巻3「書簡集補遺」で確認すると載っていないので、新出書簡であることがわかります。

 次に、11月6日という日付に注目しましょう。「本居宣長年譜(HP版)」には、「11月6日、千家最上から砂糖漬けと扇3本、千家清主から出雲海苔1包み貰う。」という記事が載り、典拠として「『音信到来帳』第3冊(20-353)」が引かれています。一方、書簡の中には、「扨此度者茂賀美君、御参宮にて御来訪被下久々にて得貴意大慶不斜奉存候、御地御様子も承別而大悦仕候」とか、「名産の海布一包御恵投毎度御懇情不浅」と書かれていて、二つの記事はきちっと符合するのです。
 展示室では保存会の研究員が行ったこのような研究や調査の成果を公開しています。また今後は、このホームページでも報告をしていく予定です。
 さて、宣長資料を散逸させることなく現在に伝えたのは、長男春庭とその子孫たちです。また、松阪には生涯の大半を過ごした家やその宅跡、奥墓など関連史跡も数多く残されています。資料だけでなく史跡も併せ見て頂くと、宣長理解が一層深まると思います。

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