竹内浩三資料を展示しています


 6月7日(水)から、本居宣長記念館夏の企画展「宣長からの手紙」が始まりました。宣長やその周辺の人々をはじめとする、さまざまな手紙を展示中ですが、展示室内には、伊勢の詩人・竹内浩三(1921-1945)の資料も展示しています。
 厳しい戦時下を生きた浩三の記録や手紙は、どこか抜けていて、楽しそうに見えます。
 現在、『筑波日記』をはじめ、浩三が姉こうへに誕生日プレゼントを催促する手紙や、こうが浩三の金遣いのだらしなさを叱る手紙も展示中です。ぜひご覧下さい。


・筑波日記
 コノ マズシイ記録ヲ ワガ ヤサシキ姉ニオクル
 浩三は昭和18年(1943、浩三22歳)9月、茨城県筑波飛行場に編成された滑空部隊に所属しました。これは、軍隊に入った浩三が最後に残した日記。トイレで隠れ、記したそうです。この手帳は、筑波の兵営から姉こうのもとへ宮沢賢治の作品集をくり抜いた中に埋め込み、厳重なカモフラージュをして送られてきた、いわば手紙。そうまでして、浩三は姉にこの手紙を託したかったのです。
 「書いたものは、全部とっといておくれ」と姉に頼んだ浩三は、もしかしたら、こうなることを望んでいたのかもしれません。


・浩三・姉こう 手紙
 あしたの朝 九時に おこして ください
 これは、浩三と姉こうのお互いに送った手紙ですが、ここに二人の性格がよく表れています。
 浩三の手紙はいかにも彼らしく、ただ用件のみを伝える、簡潔なもの。それに引き換え、姉は浩三が心配で仕方ない。「金がきたら」という詩には浩三の金銭感覚がよく表れていますが、どうも散財癖があり、一向に節約しようとしません。それは下宿時代の暮らしぶりが如実に語っており、姉はそんな弟にだんだんと苦言が多くなっていく…。手紙中で姉は、「お父さんお母さんの財産は、そんなことのために残してくれたものではない」と、地に足つかない様子の弟を叱ります。
 浩三は、早くに両親に先立たれています。こうは、浩三にとってときに厳しい母のような存在だったのです。


・姉こう宛浩三はがき
 ハガキ小説 第二、
 筑波の飛行場から、姉へ送られてきたハガキ。
 厳しい監視と訓練の日々の中、それでも読書や創作を捨てることなど出来なかったのでしょう。浩三は、「芸術の子」であり続けました。1枚のハガキに「ハガキ小説」と題し、短編が刻み込まれています。


・姉こう宛手紙
 昭和16年(1941)4月2日消印の、浩三から姉こうへ宛てた手紙。
「拝啓、ごぶさた致しておりまする。」と、ややひょうきんな敬語で始まるこの手紙には、来月の自分の誕生日プレゼントを『哲学辞典』にしてほしいということが書かれています。この頃の浩三(20歳)は、日大専門学部(現芸術学部)映画科の学生。大好きな映画にかこまれ、楽しい青春を謳歌しているこの頃の浩三が姉に送る手紙は、学校であったことや映画のこと、近況報告。そのあまりにも暢気な語調に、心配する姉の気持ちも分かるような気がします。

 

2017.6.24