本居宣長が津の国学者谷川士清に送った書簡です。
差出年次は1770年(宣長41歳・士清62歳)頃と推定されます。
発信日は8月12日です。全長173という大変長文の書簡で、既に全集で紹介されています。
主な内容は次の3つです。
1,松阪の麻積(続)機殿神社を詠んだ宣長の長歌に対する士清の批評への反論。
2,宣長が書き進めていた『古事記伝』の借覧についての回答。
3,士清の主著である『日本書紀通証』の借覧を願う。
1 で興味深いのは、自分の作品への批評を大変喜んでいる点です。 「自分の作品を人に見せること1」をご参照下さい。
2 は『古事記伝』について、宣長自らが言及したもっとも最初のものです。
これ以前には一切の書簡や記録に同書のことは出てきません。
宣長は、まだ人に見せられる状態ではないとごく親しい人以外には隠していましたが、それを士清は聞きつけただけでなく実際に見たというのに宣長は、
「いかにして見給ひつるにか、いといといぶかしくなん」
(どうやってみたのですか。不思議でなりません)
と驚いています。宣長は士清の熱意に負けて『古事記伝』を貸し出すことになります。
これ以後、二人の密接な交流が始まります。
隠していたことへの弁明は、
「自分の作品を人に見せること2 『古事記伝』執筆を隠していたことへの弁明」
をご覧下さい。
3 の『日本書紀通証』は、この前年に没した賀茂真淵からの最後の教えの一つ、
『通証』にも採るべき所がある、というのと関連するのかもしれませんし、また『古事記伝』執筆進行と関わるのでしょう。
ちなみに記念館に収蔵する『通証』は「神代巻」部分だけで、士清への借覧を願い出た神武天皇以降は収蔵していませんので書簡の記事と照応します。
○ この書簡は、6月25日からの夏の企画展で展示します。
なお購入費用には、資料整備基金のためにご寄贈いただいた
「宣長チャリティーゴルフコンペ」寄附金の一部を充当しました。

士清宛書簡冒頭

士清宛書簡巻末
>>「自分の作品を人に見せること
1」
>>「自分の作品を人に見せること
2」
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