あなたには、「日本」が見えますか
2012年8月10日の中日新聞に、竹内浩三についてのコラムが載りました。
1945年、フィリピン、バギオ島で討ち死にをした、
竹内浩三の慟哭の詩
◎日本が見えない
この空気
この音
オレは日本に帰つてきた
帰つてきた
オレの日本に帰つてきた。
でも
オレには日本が見えない
空気がサクレツしてゐた
軍靴がテントウしてゐた。
その時
オレの目の前で大地がわれた
まつ黒なオレの眼漿が空間に
とびちつた。
オレは光素(エーテル)を失つて
テントウした。
日本よ
オレの国よ、
オレにはお前が見へない、
一体オレは本当に日本に帰つてきてゐるのか、
なんにもみえない。
オレの日本はなくなつた。
オレの日本がみえない。 |
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『ハイゼ傑作抄』の見返しに書かれた詩です。
ドイツ語の教科書、そこに収められた作品に想を得たのなら、
読み方も変わるのかもしれませんが、
浩三の詩が、自らの将来を予見していることを思うと、
張り裂けるような思いには変わりはありません。
どこまでも青く広がる筑波の空の下で、あえぎながら地面にはいつくばり、
悲惨でありながらもどこか明るい日々の記録
『筑波日記』
も、現在公開中です。
おだやかな伊勢の地に、豊かな商家の子どもとして生まれ育ち、
商いの筋には疎くて、書を読むことだけを楽しみとしていた、
本居宣長。
松阪小津家の分家として、東京深川に生まれ、
松阪で育ち、勉強より映画を好んだ、
小津安二郎。
伊勢の呉服商の家に生まれ、
漫画と詩と映画をこよなく愛した
竹内浩三。
「日本」という国は、三人にとってどのような存在だったのでしょうか。
「あはれ」と言う言葉は3人の共通のキーワードですが、
重なる部分と、距離のある部分があります。
今年も、敗戦の日が近づいてきました。
今、記念館の展示室には
「日本が見えた」と確信した宣長と、
「日本が見えない」と嘆いた浩三の資料が対峙しています。
ぜひご覧になってください。
2012.8.10 |