日本の秋・宣長の秋   

1、日本の秋・宣長の秋

 秋といえば、読書・スポーツ・芸術、それに、食欲・・・と、たくさんの秋が出てきます。

 宣長ももちろん、秋ならではの行事を楽しんでいます。
 でも、現在の秋とは少し違うようです。どこが違うのでしょう?
 まずは「芸術の秋」から、宣長の秋の世界へご案内いたします。


2、宣長の手紙

 本居宣長記念館に、新しく宣長の書簡を寄贈していただきました。
 書いたのは、もちろん宣長。
 宛先は、宣長の門人・横井千秋(よこいちあき)です。

 横井千秋は尾張藩(今の愛知県)に仕えた重臣。宣長の学問に傾倒し、門人となりました。宣長の著作を出版するために力を尽くしました。『古事記伝』が出版されたのも、千秋のおかげです。

 この書簡の日付は8月25日。秋に出された書簡なのですね。
どのようなことが書かれているのでしょうか。見ていきましょう。

 >> 本居宣長書簡が寄贈されました

3、ディスカバー・ジャパン

 大淀三千風(おおよどみちかぜ)という人物をご存じですか?
この人は、井原西鶴や松尾芭蕉と同じ時代を生きていました。

 何をした人か? 松尾芭蕉よりも先に、日本全国を旅したのです。
そして作ったのが『日本行脚文集』(にほんあんぎゃぶんしゅう)です。
旅の途中で見たもの、聞いたこと、作った俳句などが記されています。
ガイドブックの先駆けですね。
 なんと芭蕉は、三千風の作った『松島眺望集』(まつしまちょうぼうしゅう)を見て、奥州の旅を決意したというのだから驚きです。

 三千風の『日本行脚文集』初版本を寄贈していただきました。
今回、初公開します。

4、宣長と旅

 寛政6年(1794年)10月、宣長は紀州藩主である徳川治宝(とくがわはるとみ)侯のお召しにより、和歌山城へ赴きます。
 10月10日に松坂を出立。紅葉の美しい季節でした。和歌山城でお殿様に講釈をし、閏11月23日に和歌山を後にします。堺・京都を経て12月4日に松坂へ帰着。旅の記録「紀見のめぐみ」や、旅で使った「本居家伝来の刀」を公開します。

 寛政6年11月、宣長は和歌山へ旅立ちました。和歌山城で講釈をするためです。
 紅葉の美しい季節、宣長は高見峠を越えて行きます。旅の記録「紀見のめぐみ」と、その旅で使った「本居家伝来の刀」を公開します。


5、宣長との別れ

 秋は宣長との別れの季節でもあります。

 享和元年(1801年)9月13日、お月見の歌会を楽しんだ宣長は、18日、病気になってしまします。
 そして、9月29日(今の暦では11月5日)、宣長は72歳で亡くなりました。

6、源氏物語の秋

 『源氏物語』には、四季折々の情景が出てきます。
四季の中でもよく出てくるのは「春」と「秋」。
特に「秋」は、紫式部が『源氏物語』を書いた季節でもあります。

 「源氏物語と秋」の関係を、宣長と絡めて見ていきましょう。

7、食欲の秋

 秋には美味しい食べ物がたくさんありますよね。
 宣長の時代にも、美味しそうな食べ物がいっぱいあります。
 宣長が普段食べていたものや、お祝いの時の食事など、 ちょっと覗いてみましょう。

8、読書の秋・スポーツの秋

 秋は読書やスポーツにも最適な季節ですね。
 宣長と読書は分かりますが、宣長とスポーツ?
 運動しているイメージがありませんが、江戸時代の人々がそうであったように、宣長は健脚なのですよ。

9、お月見

 「秋」と言えば、お月見を忘れてはいけません。
 ところで、お月見って八月の十五夜だけと思っていませんか?
 九月の十三夜にもお月見をするのですよ。

 八月十五夜(中秋の名月)は中国から伝わった行事。
 九月十三夜は日本独自の風習なのです。
 国学者は九月十三夜を好んでいたそうですよ。

 >> 県居の九月十三夜
 >> 九月十三夜

10、神在月

 10月は「神無月(かんなづき)」と言いますね。
 神様が出雲へ行ってしまうので、ほとんどの地域では、神様が居なくなってしまう月です。
 でも反対に、出雲には神様が集まってきます。そこで出雲では、10月のことを「神在月(かみありづき)」と呼ぶそうですよ。

 そんな出雲、宣長とも関係深いものがあるんです。

11、別れの秋

 宣長にとって、秋は別れの季節でもありました。
 宣長自身も秋に亡くなりましたが、宣長の大切な人たちも秋に亡くなっているのです。