13,旅では面白い歌が出来るというのは、昔も今も変わりません。
今回も伊勢の前山花見の歌、和歌山への道中の歌などいくつか出しています。
花見をかねて吉野水分神社に参詣し
その社頭で今は亡き両親のことを追想し詠んだ歌を紹介しましょう。
宣長43歳の時です。(『菅笠日記』〈12〉)
思ひ出る そのかみ垣に 手向して 麻(ぬさ)よりしげく 散る涙かな
麻(ぬさ)は旅の途中で道や峠の神様にまくおまじないのもの。それを入れたのが麻袋。
宣長は両親がこの吉野水分神社に祈願して授かった子ども。万感の思いがあったはずです。
『紀見のめぐみ』〈13〉は、65歳の宣長が高見峠を越えて大和国から紀州へと旅した時の歌日記です。
和歌山街道(国道166号線)の各所が歌に詠まれ、
この中から次の歌など3首が歌碑となっています。
ほのぼのと あくる光に 夜をこめて 立野の山は 近く見えけり
『寛政十一年 若山行日記』〈12〉は、70歳になった宣長が、
大平を養子とする手続のために和歌山に赴いた時の日記です。
用事も済み、御前講釈も無事終えた宣長は、紀ノ川から吉野を通り松坂に帰ります。
途中2月25日吉野山に立ち寄ります。
まだ桜には早すぎる季節ですが、胸にあふれる思いが百首の歌となりました。
父母の むかし思へば 袖ぬれぬ 水分山(みくまりやま)に 雨は降らねど
みくまりの 神のちはひの なかりせば うまれこめやも これのあが身は
(吉野水分神社のお力がなければ私は生まれてはこなかったのだ)
>> 吉野水分神社
吉野の里や桜の若木を植える様子なども歌われ、
宣長の詠んだ歌の中でももっとも素晴らしい作品群となっています。
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