鈴屋円居の図部分 本居宣長記念館
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冬の企画展『宣長と源氏物語』


日   時 : 2009年3月24日(火)〜6月21日(日)
午前9時〜午後4時30分
会   場 : 本居宣長記念館
入 館 料 :
一般300円 小学校4年生〜高校生100円 小学校3年生以下無料
団体料金(30名以上)大人200円、高校生80円、小・中学生50円
休 館 日 : 月曜日 ※5月連休中は開館します。
問い合わせ先: 本居宣長記念館 0598-21−0312


◇ 展示の見どころ  



 「歌を楽しむ」ことは、本居宣長においてすべての出発点でした。
十代の後半、将来への不安を抱え部屋に閉じこもっていた宣長は
「歌」という楽しみを突破口に、社会へと旅立ちます。
また、なぜ歌は人の心を魅了するのか、この問いかけが、
やがて、「もののあわれ」論や、『古事記』研究へと展開していくのです。
 今回の展示では、本居宣長72年の生涯を、
「歌を楽しむ」という目でとらえてみたいと思います。
展示は、宣長最初の歌集『栄貞詠草』から、一番最後の歌を縦軸に、
天皇の実兄・妙法院宮様との歌を通じての交流を横軸として構成します。


◇ 主な展示品  


「本居宣長四十四歳自画自賛像」
『栄貞詠草』
『和歌の浦』
『妙法院宮懐紙』など。




◇ 展示のご案内     〈 〉の数字は展示ケースです。


6〜10
6,京都から松坂に帰ってきて医者を開業。
翌年29歳の時に、宣長は樹敬寺で開かれていた嶺松院歌会(会場跡歌碑拓本、会集〈2〉・案内状〈8〉)に参加し、
またその後、新たに遍照寺歌会(会集〈8〉)を立ち上げます。
 やっと歌の仲間ができました。
歌を詠むだけでなく花見や月見、そして『源氏物語』などの古典講釈と、
この二つの歌会は宣長が亡くなるまで、松坂での活動の拠点となりました。

>> 嶺松院

 

7,30歳の頃、宣長は賀茂真淵の最新刊『冠辞考』(かんじこう)と言う本を読みました。
貸してくれたのはきっと歌会の仲間でしょう。
この本には契沖にはない何かがあると宣長は直感します。

 

8,「松坂(阪)の一夜」の話〈2〉 はご存じですか?
 伊勢にやってきた賀茂真淵(かものまふち)と言う偉い学者とのたった一度の出会いの話です。
真淵は『古事記』を解読するにはまず『万葉集』〈1〉をしっかり勉強しなさいと宣長に教えます。
 宣長は『万葉集』の勉強を開始します。真淵先生は江戸ですから、通信教育です。
『万葉集問目』〈2〉は江戸と松坂を往復した質問書ですが、今回は展示は第1冊。
巻4、丹比真人(たぢひのまひと)笠麻呂が筑紫の国に下る時に作る歌のところを展示しました。
「臣女」(まうとめ)という字が見えますか?
 宣長は、その読みはおかしいのではないか、「おみのめ」ではないかと質問したのです。
朱が真淵の添削ですが、師は宣長説を否定し、契沖もだめだと言い、
結局は古風歌(万葉集のような歌)を詠まないと始まらないと自説を述べるのです。
契沖を超える方法は「古風歌」にあり。

 

9,真淵と宣長 江戸と松坂 400キロを隔てた闘い。
 尊敬する先生の指導ではあっても、宣長は自分の和歌観には自信があるので、古風歌を詠めといわれてもなかなかハイとは言いません。
だから真淵はカッカします。『新古今集』などの後世風を好む
(嶺松院など松坂の歌会で詠まれる歌はみな後世風でした)
宣長の和歌は、『万葉集』を第一とする真淵に認められず、
今後もそのような和歌を詠むのなら「万葉の御問も止給へ」と厳しい叱責を受け、
一応渋々でも従います。
 でも、先生にはわかります。「真淵添削宣長詠草」〈2〉では、
「何とやらん後世風の調をはなれぬ様也」と、
なんかまだ後世風だなあとあいかわらず不満げですが、
ちょっと言葉つきも穏やかになっています。

10,古風歌の行方
 真淵が亡くなり、『古事記伝』執筆も進行する中で、
真淵先生の古風と、宣長のスタイルである後世風を両方詠むようになりました。
『うひ山ふみ』〈15〉は宣長が69歳の時に書いた学問入門書ですが、
そこでは歌を詠みなさい、そして古風歌を詠みなさいと書いているのです。
これは34歳の夏の夜、日野町の新上屋で聴いた真淵先生の言葉だったのではないでしょうか。

 


6〜10


 

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