展示品解説

◇壁面展示・◎国重文・○県有形・☆初出品

8,遺言書
40,『遺言書』(レプリカ) 1冊
 本居宣長記。寛政12年(71歳)7月執筆。長男春庭、次男小西春村宛。『遺言書』執筆後、山室に墓地を選定し、1年2ヶ月後の享和元年9月29日、宣長は亡くなる。
40-2,「山室山墓地の図」1枚
 宣長筆。寛政12年(1800)9月17日。山室山に墓所を定めた時の覚え。図の右下「門」とあるのは妙楽寺山門。道は「岩観音道」とある。そこから一町余り「藪」がある。○印を書き「此所也」と記す。但し、その後、宣長の委任を受けた門人・三井高蔭と、妙楽寺住職法誉上人により場所は図の上、「此所草庵アリ」と書く場所に変更。紙背書簡。「寛政十二申年九月十七日宣長自身妙楽寺へ罷越墓地の事住持へ相頼被仰即山内を見廻り見定来候左の通・・」
41,◎『遍照寺月次和歌集』6冊(第7帖)
 「三月於山室山妙楽寺花見会、見花、我がやどと苔の下にて見む花を見すてて今日はまず帰る哉、宣長」。年号は記さないが享和元年(1801)3月か。前年墓所を確定し準備を開始、この年にはその墓の桜を見に門人と山室を訪れた。一緒に歌を寄せるのは、村上円方、岡山正興、三井高蔭、中里常岳、青木親持、本居大平(養子)、殿村常久、塩田貞嗣(和歌山)、植松有信(名古屋)青木茂房、森田興枝、森光保、垣本重良。但し、門人たちの歌は普通の花見の歌。死を予期させるものはない。

8/16