展示品解説

◇壁面展示・◎国重文・○県有形・☆初出品

6,日本と世界
31,◎◇「大日本天下四海画図」 1幅 

>>「大日本天下四海画図」
32,◇「地球一覧図」1幅    ★ 宣長の見ていた世界地図   
 三橋釣客著。天明3年(1783)12月刊行。宣長旧蔵。
33,◇「天地図」1幅      ★ 『古事記』の図解
 宣長作。本居弥生写。天明6(1786)から8年頃の成立か。『古事記』の神々の関係を図解。本図をもとに、服部中庸は『三大考』を書き、それが平田篤胤の神道論に展開するなど後世に大きな影響を与えた。図は、一番上が「高天原(タカマガハラ)」、下が「根の国」で、その間に日本や諸外国があり、周囲を日月が運行する。
34,◎『呵刈葭』(カカイカ)1冊  
 天明6年から始まった宣長(57歳)と上田秋成(53歳)の論争をまとめる。宣長編だが編集態度は公正。二人の論点は、上巻は古代国語学の問題、例えば「ん」の存在等。下巻が「日の神」問題など古典の読む基本的なスタンス論。中で秋成は、「日の神が四海万国を照らすというが、世界地図を見るに日本はほんの小国なのに、そこに日月があるなどおかしいではないか」と言うのに対し、宣長は今時、世界地図位どこにでもあると切り返し、物事の尊卑の大小に関わらぬ事を言う。書名は、葭刈るのを呵(シカ)る、つまり「悪しき」を叱る意味とされる。
35,「上田秋成像」1具
 秋成(アキナリ・1734〜1809)は大坂の人。火災で家産を失ってから一時は医者をする。また、賀茂真淵門人の加藤宇万伎(美樹)に師事し国学を学ぶ。宣長著作を深く読むが、『鉗狂人』を巡り論争(『呵刈葭』)。彼は宣長の自画像を、尊大の親玉だと批判。「どこの国でも、其国のたましいが国の臭気也。おのれが像の上に書しとそ。敷島のやまと心の道とへは朝日にてらすやまさくら花、とは、いかにいかに。おのか像の上には、尊大のおや玉也。そこで、しき島のやまと心をなんのかのうろんな事を又さくら花とこたへた」(『胆大小心録』)。像は、墓所西福寺所蔵の秋成像の複製。

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