展示品解説

◇壁面展示・◎国重文・○県有形・☆初出品

13,人はなぜ歌を詠むのか
 18歳頃から歌に対して関心が芽生え、やがて自分でも詠み出す。またなぜ歌を詠むのかの考察は契沖著作との出会いで深まり、やがて『古事記』研究へと展開していく。
58,◎『二十一代集』 21冊
    『後撰集』(巻4「七夕」付箋)・『新古今集』
 宣長手沢本。『古今和歌集』から『新続古今和歌集』までの21の勅撰集。本箱「寛延四年辛未(宣長22歳)長月下浣日」「本居栄貞」。購求日か。「一、廿一代集 廿一 金二両一分」(『宝暦二年以後購求謄写書籍』)宣長が和歌や言葉の研究には二十一代集が常に基本資料となった。所蔵本の小口からは、『古今集』『後撰集』『拾遺集』の三代集と『新古今集』の繁読振りが窺える。また、宝暦8年(29歳)には、詠歌の参考として『万葉集』から二十一代集を読み通し、1.700首あまりの和歌を選び、『古今選』というアンソロジーを作成する。
 「詮(セン)ずるところ学問は、ただ年月長く倦(ウマ)ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかゝはるまじきこと也」
59,◎『栄貞詠草』1冊   ★宣長、歌を詠み始める   
 巻頭「寛延元年(1748)戊辰、詠和歌、清原栄貞(「本居」自刻印)、此道にこゝろさしてはしめて春立心を読侍りける、新玉の春きにけりな今朝よりも霞そそむる久方の空/蜘(蛛)の巣に雨のかゝれるを見侍り、ささがにのすみかに置る雨水はさながら玉の台なりけり/五月雨、つれづれと詠めさびしき五月雨に梢につたふ軒の玉水」
60,◎『宝暦二年以後購求謄写書籍目録』 1冊    
 宣長筆。購入、また筆写した本の目録。展示は、上京した宝暦2年申の年、『源秘抄』・『古今栄雅抄』・6月5日『顕注密勘』・26日『壁案集』・7月19日『六家集(拾愚・拾玉・山家・長秋・月清・壬二)』・『愚問賢注』等歌学書が並ぶ。
61,◎『古今余材抄』(コキンヨザイショウ) 10冊 巻1・3
 契沖著。宣長写。『古今和歌集』の注釈書。奥書に元禄4年(1691)とあり、前年『万葉代匠記』が完成した直後から執筆か。書名は、『万葉集』研究の余材という意味で命名。宣長は、25歳の時に第1冊を、27歳の時に残りを全部書写して、翌年2月製本など完了。時間をかけ、内容を吟味しながら丁寧に写す。巻末に長文の奥書有り。
62,◎『排蘆小船』(アシワケオブネ) 1冊
 宣長著。京都から帰郷した頃(28歳頃)の執筆か。和歌論。当時支配的な古今伝授を批判。一方で「近代難波の契沖師此道の学問に通じ、すべて古書を引証し、中古以来の妄説をやぶり、数百年来の非を正し、万葉よりはじめ多くの註解をなして、衆人の惑いをとけり。その著述多けれども、梓行せざれば、知る人まれなり。おしいかな」と、契沖を評価。また歌のもととなる「人の弱さ」にも触れ、有名な戦場のたとえもこの中に登場。また和歌の本質を「物のあはれを知る」こととする説も現れる。
63,『石上私淑言』(イソノカミササメゴト・一説にイソノカミシュクゲン)版本2冊 【個人蔵】
 宣長著。宝暦13年(1763・34歳)頃執筆。本書は、宣長の生前には未刊、文化13年(1816)に大平門人・齋藤彦麿により出版。

>>『石上私淑言』(イソノカミササメゴト)
64,◎「短冊」宣長詠・内曇
 宣長筆。短冊は宣長好みの内曇(上に青の波、下に紫の波、但し下は見えないこともある)。「寄檜恋 いのりてもつらさかはらぬ初瀬山桧原の色はいふかひもなし」(天明元年・52歳の詠)、「秋祝 秋ごとのみつぎ絶せで神代よりみよは長田のやつかほの稲」(安永5年・47歳の詠) 和歌を書く料紙には、懐紙、短冊、色紙があるが、宣長は好んで短冊を使用した。反対に、師の真淵は短冊をほとんど残さない。

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