展示品解説

◎=国重要文化財 ◇=壁面展示

6,御師のおかげ
36,◇「御師邸内図」 1面   【小津茂右衛門コレクション】
 神宮の神官には荒木田経雅のように神に奉仕する人と、檀家と神宮を結ぶ仕事をする御師(オンシ)とがいた。御師は一年に一度、諸国をまわり神宮のお札を配り、伊勢の土産として、暦、おしろい、時には宣長の本を届けたこともあった。また、諸国の人が、伊勢神宮に来たときの案内や宿舎の提供、神楽の世話も行った。この絵は、そんな御師の屋敷の台所を描いたもので、伊勢エビや、神風というお酒、キジなど山海の珍味が用意され、忙しそうに働く人たちを描いている。神楽が終わった参宮客は一風呂浴びて、やがて始まる酒宴の時を待っている。

>>「御師」
37,◇「宣長書簡(荒木田経雅宛)」 1幅    
 神宮の神官で友人の荒木田経雅(ツネタダ・1742〜1805)に送った手紙。安永7年(1778)6月24日付。この中で宣長は、経雅が尋ねた「麻笥」、「鈴」について前回の解答で納得がいかないようならば重ねて質問してほしいと書き送る。納得できるまで質疑応答をするのは宣長の学習法。学問を好んだ二人は、お互いの著書や蔵書を貸し借りし、意見の交換もし、『古事記伝』執筆にも役立てられた。この手紙も、経雅の『大神宮儀式解』の感想など学問の話題で占められている。

>>「荒木田経雅」
38,◇「外宮図」 1幅        【個人蔵】
 紙本木版手彩色。この図は、明治3年夏、食物の神である豊受大御神を祭祀する伊勢神宮外宮に稲が自生した奇瑞を慶賀するもの。詞書はその由縁を記し、宣長と平田篤胤の歌を載せる。
 「朝よひにものくふことに豊受の神のめくみを思へよの人 宣長」
 「豊受の神は天てる日の神のいつきまつらす御饌の大神 篤胤」
39,◇「宣長書簡(安田伝大夫宛)」  【小津茂右衛門コレクション】
 寛政8年(宣長67歳)12月12日付。安田伝大夫広治は、伊勢の外宮の御師。門人で前年12月に宣長三女・能登を妻に迎えた。文面は長女飛騨の結婚が内々で決まったこと。『神風撥霧集』(外宮・幸田光隆著)への反論のこと。勇子は門人藤本勇。また、荒木田久老から『宇津保物語』が返却されたことの報告。次いで、春庭の京都で住所は中立売油小路西へ入町南側であることなど、身内のことや伊勢との関わりのある話題を記す。広治は宣長の京都への旅にも同行するなど熱心に勉学に励んだ。
40,◎「栗田土満書簡」 1巻冊
 この手紙は「参宮幸便」の四文字で始まる。商人の町松坂は飛脚の便のよいところだったが、高い飛脚に頼らずに宣長に手紙を出し、返事をもらう方法が、伊勢参宮客に託すること、即ち「参宮の幸いの便り」である。参宮街道から少し入った鈴屋に手紙を届けた旅人は、帰路にまた返事を貰って国に帰る。土満(ヒジマロ)は、遠州(今の静岡県)の神主。最初、真淵に学び、後に宣長に入門、2度にわたり鈴屋を訪問。

>>「栗田土満」
41,◎「荒木田尚賢書簡」 1巻
 『古事記』に出る「クラゲ」について、宣長が「久羅下那須云々其の状海辺の人に問聞べし云々」(『古事記伝』再稿本)と書いたのをうけて伊勢の門人・荒木田尚賢(アラキダ・ヒサカタ)が、長崎で見たクラゲの様子を知らせた書簡。「尚賢按るに、海月を久良介とすることは、夜月の如く輝くものに非ず、又昼のみ見えて夜中は月夜と云へども、一向見えぬもの也、白日に青雲に月の白く見えるに善似たれば、かく命ずるなるべし、此事己れ去年肥前彼木(そのき・現在の長崎県か)の海中を船にのりけるに、あまた是を見て古人海月と命ずるの我をあざむかぬを悟りき、然れとも赤きくらげあり、是を西国にて「唐くらげ」と称して多く食用とす、状大に異れり。」

 参考資料『古事記伝』写真版
 天理大学附属図書館所蔵の『古事記伝』巻三には、クラゲの記述の上段に、荒木田尚賢から手紙で教えられたクラゲの形状が書き加えられている。

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