展示品解説

◎=国重要文化財 ◇=壁面展示

5,おかげ参り
☆ おかげ参りと宣長
 おかげ参りは、御蔭詣でとも言い、江戸時代に約60年周期で起こった伊勢神宮への集団参詣である。宣長42歳の明和8年にも、東北を除く全国から約200万人の老若男女、犬までが伊勢に向かった。街道沿いの町松坂も人があふれ、道を横切ることもままならなかった。この年の宣長は、『直霊』が出来、『古事記伝』執筆が本格化しはじめていた時期である。『てにをは紐鏡』で日本語の法則性を発見したことと、伊勢神宮に向かう熱狂した大衆を目の当たりにしたことは、確立しつつある宣長の思想に「神の存在」と言う点で大きな影響を与えた。
29,◇「松坂美人お蔭参り図」 1幅  【小津茂右衛門コレクション】
 木版刷。外題に従い「松坂美人」としたが、あるいは「松坂亭」というどこかの料亭の一行の参宮風景かもしれない。のぼりには「おかげ」と書かれている。
「神風のおかげ参りか遠近へにほひをはこぶ梅の初花・長閑さに氷こほりも打とけてゆる/\遊ふ春ぞたのしき・松坂亭・部屋中」
30,◇「牛の図」 1幅         【小津茂右衛門コレクション】
 曽我蕭白画。蕭白(ソガショウハク・1730〜81)は京都の人。高田敬輔、曽我派、雲谷派に学び、「狂」や「奇」を尊ぶ明末陽明学左派の影響を受けて奇怪な画風を創り出す。2度ほど伊勢を訪れ、松坂の寺院や豪商の家に滞在して作品を残した。京都風の文化に憧れた松坂だが、一方ではこのような反伝統的なものですら受け入れた。
31,◇「おかげ参りの図」 1幅
 五百根画・有郷賛。文政のお蔭参りを描く。
32,◇「兎の幟」 1幅        【小津茂右衛門コレクション】
 集団で参宮をするときには、他の団体と紛れないように自前で旗や幟を以て目印とした。この兎の絵を描いた紙の幟は、幕末、慶応3卯年(1867)に実際使用されたもの。上には、お札を口にした神鶏が描かれている。
33,◎『日記』 1冊
 明和8年(1771)におこった、「おかげ参り」は、数ヶ月の間に、一説によれば200万人が参詣したと伝える。宣長の日記は淡々とした記述だが、「夥」(オビタダシイ)ということばが何度も出て、かえって「おかげ参り」の凄さをよく伝えている。
34,『玉勝間』巻3 版本 1冊
 「おかげでさ、抜けたとさ」とはやしながら目印ののぼりを立て、毎日何万人も家の前を通って行く。これは驚きだ。宣長の母・お勝さんが生まれた宝永2年(1705)、伊勢路は人であふれた。閏4月上旬には一日2000から3000人だった伊勢参りの人が、13日から16日には10万人を超え、17日から3,4万人に減った。ところがまた増えだして、5月26日には23万人を記録した。結局、50日間に362万人がお伊勢さんに参詣した。これは、『玉勝間』「大神宮御蔭参り」に載る記録である。ちなみに、1721年の日本の人口は約3100万人。10人に1人の割合で参宮した計算になる。
『玉勝間』は、美しい竹篭という意味の書名で、宣長が研究の過程で気付いたり、日常の中から興味を感じたことで、捨てるには惜しい記事1005項目を集めた随筆集。ただ漫然と集めたのではなく内容と文章は充分吟味されている。全15冊(目録1冊)。
35,◎◇「本居宣長四十四歳自画自賛像」

>>「本居宣長四十四歳自画自賛像」

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