『うひ山ぶみ』



底本は『本居宣長全集』を使用した。

う ひ 山 ぶ み
<イ>世に物まなびのすぢ、しなじな有て、一トようならず、そのしなじなをいはば、まづ神代紀をむねとたてて、道をもはらと学ぶ有リ、これを神学といひ、其人を神道者といふ、又官職儀式律令などを、むねとして学ぶあり、又もろもろの故実、装束調度などの事を、むねと学ぶあり、これらを有識の学といふ、又上は六国史其外の古書をはじめ、後世の書共まで、いづれのすぢによるともなくて、まなぶもあり、此すぢの中にも、猶分ていはば、しなじな有べし、又歌の学び有リ、それにも、歌をのみよむと、ふるき歌集物語書などを解キ明らむるとの二タやうあり、大かた件のしなじな有て、おのおの好むすぢによりてまなぶに、又おのおのその学びやうの法も、教ふる師の心々、まなぶ人の心々にて、さまざまあり、かくて学問に心ざして、入そむる人、はじめより、みづから思ひよれるすぢありて、その学びやうも、みづからはからふも有ルを、又さやうにとり分てそれと思ひよれるすぢもなく、まなびやうも、みづから思ひとれるかたなきは、物しり人につきて、いづれのすぢに入てかよからん、又うひ学ビの輩のまなびやうは、いづれの書よりまづ見るべきぞなど、問ヒ求むる、これつねの事なるが、まことに然あるべきことにて、その学のしなを正(タダ)し、まなびやうの法をも正して、ゆくさきよこさまなるあしき方に落チざるやう、又其業のはやく成るべきやう、すべて功多かるべきやうを、はじめよりよくしたゝめて、入らまほしきわざ也、同じく精力を用ひながらも、そのすぢそのまなびやうによりて、得失あるべきこと也、然はあれども、まづかの学のしなじなは、他よりしひて、それをとはいひがたし、大抵みづから思ひよれる方にまかすべき也、いかに初心なればとても、学問にもこゝろざすほどのものは、むげに小児の心のやうにはあらねば、ほどほどにみづから思ひよれるすぢは、必ズあるものなり、又面 々好むかたと、好まぬ方とも有リ、又生れつきて得たる事と、得ぬ事とも有ル物なるを、好まぬ 事得ぬ事をしては、同じやうにつとめても、功を得ることすくなし、又いづれのしなにもせよ、学びやうの次第も、一トわたりの理によりて、云々(シカシカ)してよろしと、さして教へんは、やすきことなれども、そのさして教へたるごとくにして、果 してよきものならんや、又思ひの外にさてはあしき物ならんや、実にはしりがたきことなれば、これもしひては定めがたきわざにて、実はたゞ其人の心まかせにしてよき也、詮(セン)ずるところ学問は、ただ年月長く倦(ウマ)ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかゝはるまじきこと也、いかほど学びかたよくても、怠(オコタ)りてつとめざれば、功はなし、又人々の才と不才とによりて、其功いたく異なれども、才不才は、生れつきたることなれば、力に及びがたし、されど大抵は、不才なる人といへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有ル物也、又晩学の人も、つとめはげめば、思ひの外功をなすことあり、又暇(イトマ)のなき人も、思ひの外、いとま多き人よりも、功をなすもの也、されば才のともしきや、学ぶことの晩(オソ)きや、暇(イトマ)のなきやによりて、思ひくづをれて、止(ヤム)ることなかれ、とてもかくても、つとめだにすれば、出来るものと心得べし、すべて思ひくずをるゝは、学問に大にきらふ事ぞかし、さてまづ上の件のごとくなれば、まなびのしなも、しひてはいひがたく、学びやうの法も、かならず云々(シカシカ)してよろしとは、定めがたく、又定めざれども、実はくるしからぬ ことなれば、たゞ心にまかすべきわざなれども、さやうにばかりいひては、初心の輩は、取リつきどころなくして、おのづから倦(ウミ)おこたるはしともなることなれば、やむことをえず、今宣長が、かくやあるべからんと思ひとれるところを、一わたりいふべき也、然れどもその教へかたも、又人の心々なれば、吾はかやうにてよかるべき歟と思へども、さてはわろしと思ふ人も有べきなれば、しひていふにはあらず、たゞ己が教ヘによらんと思はん人のためにいふのみ也、そはまづ<ロ>かのしなじなある学びのすぢすぢ、いづれもいづれも、やむことなきすぢどもにて、明らめしらではかなはざることなれば、いづれをものこさず、学ばまほしきわざなれども、一人の生涯の力を以ては、ことごとくは、其奥までは究(キハ)めがたきわざなれば、其中に主(ムネ)としてよるところを定めて、かならずその奥をきはめつくさんと、はじめより<ハ>志(シ)を高く大にたてて、つとめ学ぶべき也、然して其余のしなじなをも、力の及ばんかぎり、学び明らむべし、さてその<ニ>主(ムネ)としてよるべきすぢは、何れぞといへば、道の学問なり、そもそも此道は、天照大御神の道にして、天皇の天下をしろしめす道、四海万国にゆきわたりたる、まことの道なるが、ひとり皇国に伝はれるを、其道は、いかなるさまの道ぞといふに、<ホ>此道は、古事記書紀の二典(フタミフミ)に記されたる、神代上代の、もろもろの事跡のうえに備はりたり、此ノ二典の上代の巻々を、くりかへしくりかへしよくよみ見るべし、<ヘ>又初学の輩は、宣長が著したる、神代正語を、数十編よみて、その古語のやうを、口なれしり、又直日のみたま、玉 矛百首、玉くしげ、葛花などやうの物を、入学のはじめより、かの二典と相まじへてよむべし、然せば、二典の事跡に、道の具備(ソナ)はれることも、道の大むねも、大抵に合点ゆくべし、又件の書どもを早くよまば、やまとたましひよく堅固(カタ)まりて、漢意(カラゴコロ)に、おちいらぬ 衛(マモリ)にもよかるべき也、道を学ばんと心ざすともがらは、<ト>第一に漢意儒意を、清く濯(スス)ぎ去て、やまと魂(タマシヒ)をかたくする事を、要とすべし、さてかの二典の内につきても、<チ>道をしらんためには、殊に古事記をさきとすべし、<リ>書紀をよむには、大に心得あり、文のまゝに解しては、いたく古への意にたがふこと有て、かならず漢意に落入べし、次に古語拾遺、やゝ後の物にはあれども、二典のたすけとなる事ども多し、早くよむべし、次に万葉集、これは歌の集なれども、道をしるに、甚ダ緊要の書なり、殊によく学ぶべし、その子細は、下に委くいふべし、まづ道をしるべき学びは、大抵上ノ件リの書ども也、然れども書紀より後の、次々の御代々々の事も、しらでは有べからず、其書どもは、続日本紀、次に日本後紀、つぎに続日本後紀、次に文徳実録、次に三代実録也、書紀よりこれまでを合せて<ヌ>六国史といふ、みな朝廷の正史なり、つぎつぎに必ずよむべし、又件の史どもの中に、<ル>御代々々の宣命には、ふるき意詞ののこりたれば、殊に心をつけて見るべし、次に延喜式、姓氏録、和名抄、貞観儀式、出雲国ノ風土記、<ヲ>釈日本紀、令、西宮記、北山抄、さては<ワ>己が古事記ノ伝など、おほかたこれら、<カ>古学の輩の、よく見ではかなはぬ 書ども也、然れども初学のほどには、件の書どもを、すみやかに読ミわたすことも、たやすからざれば、巻数多き大部の書共は、しばらく後へまはして、短き書どもより先ズ見んも、宣しかるべし、其内に延喜式の中の祝詞(ノリト)の巻、又神名帳などは、早く見ではかなはぬ 物也、凡て件の書ども、かならずしも次第を定めてよむにも及ばず、たゞ便にまかせて、次第にかゝはらず、これをもかれをも見るべし、又いづれの書をよむとても、<ヨ>初心のほどは、かたはしより文義を解せんとはすべからず、まづ大抵にさらさらと見て、他の書にうつり、これやかれやと読ては、又さきによみたる書へ立かへりつゝ、幾遍(イクヘン)もよむうちには、始メに聞えざりし事も、そろそろと聞ゆるやうになりゆくもの也、さて件の書どもを、数遍よむ間ダには、其外のよむべき書どものことも、学びやうの法なども、段々に自分の料簡の出来るものなれば、<タ>其末の事は、一々さとし教るに及ばず、心にまかせて、力の及ばむかぎり、古きをも後の書をも、<レ>広くも見るべく、又簡約(ツヅマヤカ)にして、さのみ広くはわたらずしても有リぬ べし、さて又<ソ>五十音のとりさばき、かなづかひなど、必ズこゝろがくべきわざ也、<ツ>語釈は緊要にあらず、さて又<ネ>漢籍(カラブミ)をもまじへよむべし、古書どもは、皆漢字漢文を借リて記され、殊に孝徳天皇天智天皇の御世のころよりしてこなたは、万ヅの事、かの国の制によられたるが多ければ、史どもをよむにも、かの国ぶみのやうをも、大抵はしらでは、ゆきとゞきがたき事多ければ也、但しからぶみを見るには、殊にやまとたましひをよくかためおきて見ざれば、かのふみのことよきにまどはさるゝことぞ、此心得肝要也、さて又段々学問に入たちて、事の大すぢも、大抵は合点のゆけるほどにもなりなば、いづれにもあれ、<ナ>古書の注釈を作らんと、早く心がくべし、物の注釈をするは、すべて大に学問のためになること也、さて上にいへるごとく、二典の次には、<ラ>万葉集をよく万ぶべし、<ム>みづからも古風の歌をまなびてよむべし、すべて人は、かならず歌をよむべきものなる内にも、学問をするものは、なほさらよまではかなはぬ わざ也、歌をよまでは、古ヘの世のくはしき意、風雅(ミヤビ)のおもむきはしりがたし、<ウ>万葉の歌の中にても、やすらかに長ケ高く、のびらかなるすがたを、ならひてよむべし、又<ヰ>長歌をもよむべし、さて又歌には、古風後世風、世々のけぢめあることなるが、古学の輩は、古風をまづむねとよむべきことは、いふに及ばず、又<ノ>後世風をも、棄(ステ)ずしてならひよむべし、<オ>後世風の中にも、さまざまよきあしきふりふりあるを、よくえらびてならふべき也、又伊勢源氏その外も、<ク>物語書どもをも、つねに見るべし、すべてみづから歌をもよみ、物がたりぶみなどをも常に見て、<ヤ>いにしへ人の、風雅(ミヤビ)のおもむきをしるは、歌まなびのためは、いふに及ばず、古の道を明らめしる学問にも、いみしくたすけとなるわざなりかし、
   上ノ件ところどころ、圏(ワ)の内に、かたかなをもてしるししたるは、いはゆ
   る相じるしにて、その件リ々にいへることの、然る子細を、又奥に別 にくはしく
   論ひさとしたるを、そこはこゝと、たづねとめて、しらしめん料のしるし也、
   
<イ>世に物まなびのすぢしなじな有て云々、 物学ビとは、皇朝の学問をいふ、そもそもむかしより、たゞ学問とのみいへば、漢学のことなる故に、その学と分むために、皇国の事をば、和学或は国学などいふならひなれども、そはいたくわろきいひざま也、みづからの国のことなれば、皇国の学をこそ、たゞ学問とはいひて、漢学をこそ、分て漢学といふべきことなれ、それももし漢学のこととまじへいひて、まぎるゝところにては、皇朝学などはいひもすべきを、うちまかせてつねに、和学国学などいふは、皇国を外(ヨソ)にしたるいひやう也、もろこし朝鮮於蘭陀などの異国よりこそ、さやうにもいふべきことなれ、みづから吾国のことを、然いふべきよしなし、すべてもろこしは外(ヨソ)の国にて、かの国の事は、何事もみな外(ヨソ)の国の事なれば、その心をもて、漢某唐某(カンナニトウナニ)といふべく、皇国の事は、内の事なれば、分て国の名をいふべきにはあらざるを、昔より世の中おしなべて、漢学をむねとするならひなるによりて、万ズの事をいふに、たゞかのもろこしを、みずからの国のごとく、内にして、皇国をば、返りて外(ヨソ)にするは、ことのこゝろたがひて、いみしきひがこと也、此事は、山跡魂をかたむる一端なる故に、まづいふなり、
<ロ>かのしなじなある学びのすぢすぢ云々、 これをはじめにいへるしなじなの学問のことなるが、そのしなじな、いづれもよくしらではかなはざる事どもなり、そのうち律令は、皇朝の上代よりの制と、もろこしの国の制とを合せて、よきほどに定められたる物なれども、まづはもろこしによれることがちにして、皇国の古ヘの制をば、改められたる事多ければ、これを学ぶには、其心得あるべく、又此すぢのからぶみをよく明らめざれば、事ゆかぬ 学問なれば、奥をきはめんとするには、から書の方に、力を用ふること多くて、こなたの学びのためには、功(テマ)の費も多き也、これらのところをもよく心得べし、さて官職儀式の事は、これももろこしによられたる事共も、おほくあれども、さのみから書に力をもちひて、考ふることはいらざれば、律令とはことかはれり、官職のことは、職員令をもととして、つぎつぎに明らむべし、世の学者、おほく職原抄を主とする事なれども、かの書は、後世のさまを、むねとしるされたる如くなるが、朝廷のもろもろの御さだめも、御世々々を経るまゝに、おのづから古ヘとは変(カハ)り来ぬ る事ども多ければ、まづその源より明らむべき也、なほ官職の事しるせる、後世の書いと多し、もろもろの儀式の事は、貞観儀式弘仁の内裏式などふるし、其外江家次第、世におしなべて用ふる書なり、されどこれも、古ヘとはやゝかはれる事ども多し、貞観儀式などと、くらべ見てしるべし、ちかく水戸の礼儀類典、めでたき書なれども、ことのほか大部なれば、たやすくよみわたしがたし、さて装束調度などのことは、世にこれをまなぶ輩は、おほくは中古以来の事をのみ穿鑿して、古ヘへさかのぼりて考える人は、すくなし、これも後世の書ども、いとあまたあれども、まづ古書より考ふべし、此古書は、まづ延喜式など也、さては西宮記北山抄、此二書は、装束調度などの学のみにはかぎらず、律令官職儀式、其外の事、いづれにもわたりて、おほよそ朝廷のもろもろの事をしるされたり、かならずよくよむべき書なり、さて件のしなじなの学問いづれもいずれも、古ヘざまの事は、六国史に所々其事どもの出たるを、よく参考すべし、又中古以来のことは、諸家の記録どもなどに、散出したるを、参考すべし、さて歌まなびの事は、下に別 にいへり、むかし四道の学とて、しなじなの有しは、みな漢ざまによれる学びなれば、こゝに論ずべきかぎりにあらず、四道とは、紀伝明経明法算道これ也、此中に明法道といふは、律令などの学問なれば、上にいへると同じけれど、昔のは、その実事にかゝりたれば、今の世のたゞ書のうへの学のみなるとは、かはり有リ、さてなほ外国の学は、儒学仏学其外、殊にくさぐさ多くあれども、皆よその事なれば、今論ずるに及ばず、吾は、あたら精力を、外(ヨソ)の国の事に用ひんよりは、わがみづからの国の事に用ひまほしく思ふ也、その勝劣のさだなどは、姑くさしおきて、まづよその事にのみかゝづらひて、わが内の国の事をしらざらんは、くちをしきわざならんや、
<ハ>志を高く大きにたてて云々、 すべて学問は、はじめよりその心ざしを、高く大きに立テて、その奥を究(キハ)めつくさずはやまじと、かたく思ひまうくべし、此志よわくては、学問すゝみがたく、倦怠(ウミオコタ)るもの也、
<ニ>主(ムネ)としてよるべきすぢは云々、 道を学ぶを主とすべき子細は、今さらにも及ばぬ ことなれども、いさゝかいはば、まづ人として、人の道はいかなるものぞといふことを、しらで有べきにあらず、学問の志なきものは、論のかぎりにはあらず、かりそめにもその心ざしあらむ者は、同じくは道のために、力を用ふべきこと也、然るに道の事をば、なほざりにさしおきて、たゞ末の事のみ、かゝづらひをらむは、学問の本意にあらず、さて道を学ぶにつきては、天地の間にわたりて、殊にすぐれたる、まことの道の伝はれる、御国に生まれ来つるは、幸とも幸なれば、いかにも此たふとき皇国の道を学ぶべきは、勿論のこと也、
<ホ>此道は、古事記書紀の二典に記されたる云々、 道は此二典にしるされたる、神代のもろもろの事跡のうへに備はりたれども、儒仏などの書のやうに、其道のさまを、かやうかやうと、さして教へたることなければ、かの儒仏の書の目うつしにこれを見ては、道の趣、いかなるものともしりがたく、とらへどころなきが如くなる故に、むかしより世々の物しり人も、これをえとらへず、さとらずして、或は仏道の意により、或は儒道の意にすがりて、これを説(トキ)たり、其内昔の説は、多く仏道によりたりしを、百五六十年以来は、かの仏道によれる説の、非なることをばさとりて、其仏道の意をば、よくのぞきぬ れども、その輩の説は、又皆儒道の意に落入て、近世の神学者流みな然也、其中にも流々有て、すこしづゝのかはりはあれども、大抵みな同じやうなる物にて、神代紀をはじめ、もろもろの神典のとりさばき、たゞ陰陽八卦五行など、すべてからめきたるさだのみにして、いさゝかも古ヘの意にかなへることなく、説クところ悉皆儒道にて、たゞ名のみぞ神道にては有ける、されば世の儒者などの、此神道家の説を聞て神道といふ物は、近き世に作れる事也とて、いやしめわらふは、げにことわり也、此神学者流のともがら、かの仏道によりてとけるをば、ひがこととしりながら、又おのが儒道によれるも、同じくひがことなる事をば、えさとらぬ こそ可笑(ヲカ)しけれ、かくいへば、そのともがらは、神道と儒道とは、その致(ムネ)一ツなる故に、これを仮(カリ)て説(トク)也、かの仏を牽合したる類ヒにはあらず、といふめれども、然思ふは、此道の意をえさとらざる故也、もしさやうにいはば、かの仏道によりて説ク輩も又、神道とても、仏の道の外なることなし、一致也とぞいふべき、これら共に、おのおの其道に惑へるから、然思ふ也、まことの神道は、儒仏の教ヘなどとは、いたく趣の異なる物にして、さらに一致なることなし、すべて近世の神学家は、件のごとくなれば、かの漢学者の中の、宋学といふに似て、いさゝかもわきめをふらず、たゞ一すぢに道の事をのみ心がくめれども、ひたすら漢流の理窟にのみからめられて、古の意をば、尋ねんものとも思はず、其心を用るところ、みな儒意なれば、深く入ルほど、いよいよ道の意には遠き也、さて又かの仏の道によりて説るともがらは、その行法も、大かた仏家の行法にならひて、造れる物にして、さらに皇国の古ヘの行ひにあらず、又かの近世の儒意の神道家の、これこそ神道の行ひよとて、物する事共、葬喪祭祀等の式、其外も、世俗とかはりて、別 に一種の式を立て行ふも、これ又儒意をまじへて、作れること多くして、全く古ヘの式にはあらず、すべて何事も、古ヘの御世に、漢風をしたひ用ひられて、多くかの国ざまに改められたるから、上古の式はうせて、世に伝はらざるが多ければ、そのさだかにこまかなることは、知リがたくなりぬ る、いといと歎かはしきわざ也、たまたま片田舎などには、上古の式の残れる事も有とおぼしけれども、それも猶仏家の事などまじりて、正しく伝はれるは有がたかめり、そもそも道といふ物は、上に行ひ給ひて、下へは、上より敷キ施し給ふものにこそあれ、下たる者の、私に定めおこなふものにはあらず、されば神学者などの、神道の行ひとて、世間に異なるわざをするは、たとひ上古の行ひにかなへること有といへども、今の世にしては私なり、道は天皇の天下を治めさせ給ふ、正大公共の道なるを、一己の私の物にして、みづから狭く小(チヒサ)く説(トキ)なして、たゞ巫覡などのわざのごとく、或はあやしきわざを行ひなどして、それを神道となのるは、いともいともあさましくかなしき事也、すべて下たる者は、よくてもあしくても、その時々の上の掟のまゝに、従ひ行ふぞ、即チ古ヘの道の意には有ける、吾はかくのごとき思ひとれる故に、吾家、すべて先祖の祀リ、供仏施僧のわざ等も、たゞ親の世より為シ来りたるまゝにて、世俗とかはる事なくして、たゞこれをおろそかならざらんとするのみ也、学者はたゞ、道を尋ねて明らめしるをこそ、つとめとすべけれ、私に道を行ふべきものにはあらず、されば随分に古の道を考へ明らめて、そのむねを、人にもをしへさとし、物にも書キ遺(ノコ)しおきて、たとひ五百年千年の後にもあれ、時至りて、上にこれを用ひ行ひ給ひて、天下にしきほどこし給はん世をまつべし、これ宣長が志シ也、
<ヘ>初学のともがらは宣長が著したる云々、 神典には、世々の注釈末書あまたあるを、さしおきて、みづから著せる書を、まづよめといふは、大に私なるに似たれども、必ズ然すべき故あり、いで其故は、注釈末書は多しといへども、まづ釈日本紀などは、道の意を示し明したる事なく、私記の説といへども、すべていまだしくをさなき事のみ也、又その後々の末書注釈どもは、仏と儒との意にして、さらに古の意にあらず、返て大に道を害することのみ也、されば今、道のために、見てよろしきは、一つもあることなし、さりとて又初学のともがら、いかぼど力を用ふとも、二典の本文を見たるばかりにては、道の趣、たやすく会得しがたかるべし、こゝにわが県居ノ大人は、世の学者の、漢意のあしきことをよくさとりて、ねんごろにこれをさとし教へて、盛ンに古学を唱へ給ひしかども、其力を万葉集にむねと用ひて、道の事までは、くはしくは及ばれず、事にふれては、其事もいひ及ぼされてはあれども、力をこれにもはらと入れられざりし故に、あまねくゆきわたらず、されば道のすぢは、此大人の説も、なほたらぬ こと多ければ、まづ速に道の大意を心得んとするに、のり長が書共をおきて外に、まづ見よとをしふべき書は、世にあることなければ也、さる故に下には、古事記伝をも、おほけなく古書共にならべて、これをあげたり、かくいふをも、なほ我慢なる大言のやうに、思ひいふ人もあるべけれど、さやうに人にあしくいはれんことをはゞかりて、おもひとれるすぢを、いはざらんは、かへりて初学のために、忠実(マメ)ならざれば、あしくいはむ人には、いかにもいはれんかし、
<ト>第一に漢意儒意を云々、 おのれ何につけても、ひたすら此事をいふは、ゆゑなくみだりに、これをにくみてにはあらず、大きに故ありていふ也、その故は、古の道の意の明らかならず、人みな大にこれを誤りしたゝめたるは、いかなるゆゑぞと尋ぬ れば、みな此漢意に心のまどはされ居て、それに妨(サマタ)げらるゝが故也、これ千有余年、世ノ中の人の心の底に染着(シミツキ)てある、痼疾なれば、とにかくに清くはのぞこりがたき物にて、近きころは、道をとくに、儒意をまじふることの、わろきをさとりて、これを破する人も、これかれ聞ゆれども、さやうの人すら、なほ清くこれをまぬ かるゝことあたはずして、その説クところ、畢竟は漢意におつるなり、かくのごとくなる故に、道をしるの要、まづこれを清くのぞき去ルにありとはいふ也、これを清くのぞきさらでは道は得がたかるべし、初学の輩、まづ此漢意を清く除き去て、やまとたましひを堅固(カタ)くすべきことは、たとへばものゝふの、戦場におもむくに、まづ具足をよくし、身をかためて立出るがごとし、もし此身の固めをよくせずして、神の御典(ミフミ)をよむときは、甲冑をも着ず、素膚(スハダ)にして戦ひて、たちまち敵のために、手を負ふがごとく、かならずからごゝろに落入べし、
<チ>道をしらんためには、殊に古事記をさきとすべし、 まづ神典は、旧事紀古事記日本書紀を、昔より、三部の本書といひて、其中に世の学者の学ぶところ、日本紀をむねとし、次に旧事紀は、聖徳太子の御撰として、これを用ひて、古事記をば、さのみたふとまず、深く心を用る人もなかりし也、然るに近き世に至りてやうやう、旧事紀は真の書にあらず、後の人の撰び成せる物なることをしりそめて、今はをさをさこれを用る人はなきやうになりて、古事記のたふときことをしれる人多くなれる、これ全く吾師ノ大人の教ヘによりて、学問の道大にひらけたるが故也、まことに古事記は、漢文のかざりをまじへたることなどなく、たゞ古ヘよりの伝説のまゝにて、記しざまいといとめでたく、上代の有さまをしるしに、これにしく物なく、そのうへ神代の事も、書紀よりは、つぶさに多くしるされたれば、道をしる第一の古典にして、古学のともがらの、尤尊み学ぶべきは此書也、然るゆゑに、己レ壮年より、数十年の間、心力をつくして、此記の伝四十四巻をあらはして、いにしへ学ビのしるべとせり、さて此記は、古伝説のまゝにしるせる書なるに、その文のなほ漢文ざまなるはいかにといふに、奈良の御代までは、仮字文といふことはなかりし故に、書はおしなべて、漢文に書るならひなりき、そもそも文字書籍は、もと漢国より出たる物なれば、皇国に渡り来ても、その用ひやう、かの国にて物をしるす法のまゝにならひて書キそめたるにて、こゝとかしこと、語のふりはたがへることあれども、片仮字も平仮字のなき以前は、はじめよりのならひのまゝに、物はみな漢文に書たりし也、仮字文といふ物は、いろは仮字出来て後の事也、いろは仮字は、今の京になりて後に、出来たり、されば古書のみな漢文なるは、古ヘの世のなべてのならひにこそあれ、後世のごとく、好みて漢文に書るにはあらず、さて歌は、殊に詞にあやをなして、一もじもたがへては、かなはぬ 物なる故に、古書にもこれをば、別に仮字に書り、それも真仮字也、又祝詞宣命なども、詞をとゝのへかざりたるものにて、漢文ざまには書がたければ、これも別 に書法有し也、然るを後世に至りては、片仮字平仮字といふ物あれば、万の事、皇国の語のまゝに、いかやうにも自由に、物はかゝるゝことなれば、古ヘのやうに、物を漢文に書べきことにはあらず、便よく正しき方をすてて、正しからず不便なるかたを用るは、いと愚也、上件の子細をわきまへざる人、古書のみな漢文なるを見て、今も物は漢文に書クをよきことと心得たるは、ひがこと也、然るに諸家の記録其外、つねの文書消息文などのたぐひは、なほ後世までも、みな漢文ざまに書クならひにて、これも男ぶみといひ、いろは仮字をば女もじ、仮字文をば、女ぶみとしもいふなるは、男はおのづからかの古ヘのならひのまゝに為シ来(キタ)り、女は便にまかせて、多くいろは仮字をのみ用ひたるから、かゝる名目も有也、
<リ>書紀をよむには大に心得あり云々、 書紀は、朝廷の正史と立られて、御世々々万の事これによらせ給ひ、世々の学者も、これをむねと学ぶこと也、まことに古事記は、しるしざまは、いとめでたく尊けれども、神武天皇よりこなたの、御世々々の事をしるされたる、甚あらくすくなくして、広からず、審ならざるを、此紀は、広く詳にしるされたるほど、たぐひなく、いともたふとき御典也、此御典なくては、上古の事どもを、ひろく知べきよしなし、然はあれども、すべて漢文の潤色多ければ、これをよむに、はじめよりその心得なくてはあるべからず、然るを世間の神学者、此わきまへなくして、たゞ文のまゝにこゝろえ、返て漢文の潤色の所を、よろこび尊みて、殊に心を用るほどに、すべての解し様(サマ)、ことごとく漢流の理屈にして、いたく古ヘの意にたがへり、これらの事、大抵は古事記伝の首巻にしるせり、猶又別 に、神代紀のうずの山蔭といふ物を書ていへり、ひらき見るべし、
<ヌ>六国史といふ云々、 六国史のうち日本後紀は、いかにしたるにか、亡(ウセ)て伝はらず、今それとて廿巻あるは、全き物にあらず、然るに近き世、鴨ノ祐之といひしひと、類聚国史をむねと取リ、かたはら他の正しき古書共をもとり加ハへて、日本逸史といふ喪の四十巻を撰定せる、後紀のかはりは、此書にてたれり、類聚国史は、六国史に記されたる諸の事を、部類を分ケ聚めて、菅原ノ大臣の撰給へる書也、さて三代実録の後は、正しき、国史は無し、されば宇多ノ天皇よりこなたの御世御世の事は、たゞこれかれかたはらの書共を見てしること也、其書ども、国史のたぐひなるも、あまた有、近世水戸の大日本史は、神武天皇より後小松ノ天皇の、後亀山ノ天皇の御禪(ミユヅリ)を受させ給へる御事までしるされて、めでたき書也、
<ル>御世々々の宣命には云々、 書紀に挙られたる、御世々々の詔勅は、みな漢文なるのみなるを、続紀よりこなたの史共には、皇朝詞の詔をも、載せられたる、これを分て宣命といふ也、続紀なるは、世あがりたれば、殊に古語多し、その次々の史どもなる、やうやうに古き語はすくなくなりゆきて、漢詞おほくまじれり、すべて宣命にはかぎらず、何事にもせよ、からめきたるすぢをはなれて、皇国の上代めきたるすぢの事や詞は、いづれの書にあるをも、殊に心をとどめて見るべし、古ヘをしる助ケとなること也、
<ヲ>釈日本紀、 此書は後の物にて、説もすべてをさなけれども、今の世には伝はらぬ 古書どもを、これかれと引出たる中に、いとめづらかに、たふときことどもの有也、諸国の風土記なども、みな今は伝はらざるに、此書と仙覚が万葉の抄とに、引出たる所々のみぞ、世にのこれる、これ殊に古学の用なり、又むかしの私記どもも、皆亡(ウセ)ぬ るを、此釈には、多く其説をあげたり、私記の説も、すべてをさなけれども、古き故に、さすがに取ルべき事もまゝある也、さて六国史をはじめて、こゝに挙たる書共いづれも、板本も写 本も、誤字脱字等多ければ、古本を得て、校正すべし、されど古本は、たやすく得がたきものなれば、まづ人の校正したる本を、求め借りてなりとも、つぎつぎ直すべき也、さて又ついでにいはむ、今の世は、古ヘをたふとみ好む人おほくなりぬ るにつきては、おのづからめづらしき古書の、世に埋れたるも、顕れ出る有リ、又それにつきては、偽書も多く出るを、その真偽は、よく見る人は、見分れども、初学の輩などは、え見分ねば、偽書によくはからるゝ事あり、心すべし、されば初学のほどは、めづらしき書を得んことをば、さのみ好むべからず、
<ワ>古事記伝云々、 みづから著せる物を、かくやむことなき古書どもにならべて挙るは、おふけなく、つゝましくはおぼゆれども、上にいへるごとくにて、上代の事を、くはしく説キ示し、古学の心ばへを、つまびらかにいへる書は、外になければぞかし、されば同じくは此書も、二典とまじへて、はじめより見てよろしけれども、巻数多ければ、こゝへはまはしたる也、
<カ>古学の輩の、 古学とは、すべて後世の説にかゝはらず、何事も、古書によりて、その本を考へ、上代の事を、つまびらかに明らむる学問也、此学問、ちかき世に始まれり、契沖ほふし、歌書に限りてはあれど、此道すじを開きそめたり、此人をぞ、此まなびのはじめの祖(オヤ)ともいひつべき、次にいさゝかおくれて羽倉ノ大人、荷田ノ東麻呂ノ宿祢と申せしは、歌書のみならず、すべての古書にわたりて、此こゝろばへを立テ給へりき、かくてわが師あがたゐの大人、この羽倉ノ大人の教をつぎ給ひ、東国に下り江戸に在て、さかりに此学を唱へ給へるよりぞ、世にはあまねくひろまりにける、大かた奈良ノ朝よりしてあなたの古ヘの、もろもろの事のさまを、こまかに精(クハ)しく考へしりて、手にとるばかりになりぬ るは、もはら此大人の、此古学のをしへの功にぞ有ける、
<ヨ>初心のほどは、かたはしより文義を云々、 文義の心得がたきところを、はじめより、一々に解せんとしては、とどこほりて、すゝまぬ ことあれば、聞えぬところは、まづそのまゝにて過すぞよき、殊に世に難き事にしたるふしぶしを、まづしらんとするは、いといとわろし、たゞよく聞えたる所に、心をつけて、深く味ふべき也、こはよく聞えたる事也と思ひて、なほざりに見過せば、すべてこまかなる意味もしられず、又おほく心得たがひの有て、いつまでも、其誤リをえさとらざる事有也、
<タ>其末の事、一々さとし教るに及ばず、 此こゝろをふと思ひよりてよめる歌、筆のついでに、「とる手火も今はなにせむ夜は明てほがらほがらと道見えゆくを、
<レ>ひろくも見るべく又云々、 博識とかいひて、随分ひろく見るも、よろしきことなれども、さては緊要の書を見ることの、おのづからおろそかになる物なれば、あながちに広きをよきこととのみもすべからず、その同じ力を、緊要の書に用るもよろしかるべし、又これかれにひろく心を分るは、たがひに相たすくることもあり、又たがひに害となることもあり、これらの子細をよくはからふべき也、
<ソ>五十音のとりさばき云々、 これはいはゆる仮字反シの法、音の堅横の通 用の事、言の延(ノベ)つゞめの例などにつきて、古語を解キ明らむるに、要用のこと也、かならずはじめより心がくべし、仮字づかひは、古ヘのをいふ、近世風の歌よみのかなづかひは、中昔よりの事にて、古書にあはず、
<ツ>語釈は緊要にあらず、 語釈とは、もろもろの言の、然云フ本の意を考へて、釈(トク)をいふ、たとへば天(アメ)といふはいかなること、地(ツチ)といふはいかなることと、釈(ト)くたぐひ也、こは学者の、たれもまづしらまほしがることなれども、これにさのみ深く心をもちふべきにはあらず、こは大かたよき考へは出来がたきものにて、まづはいかなることとも、しりがたきわざなるが、しひてしらでも、事かくことなく、しりてもさのみ益なし、されば諸の言は、その然云フ本の意を考ヘんよりは、古人の用ひたる所をよく考へて、云々(シカシカ)の言は、云々の意に用ひたりといふことを、よく明らめ知るを、要とすべし、言の用ひたる意をしらでは、其所の文意聞えがたく、又みづから物を書クにも、言の用ひやうたがふこと也、然るを今の世古学の輩、ひたすら然云フ本の意をしらんことをのみ心がけて、用る意をば、なほざりにする故に、書をも解し誤り、みづからの歌文も、言の意用ひざまたがひて、あらぬ ひがこと多きぞかし、
<ネ>からぶみをもまじへよむべし、 漢籍を見るも、学問のために益おほし、やまと魂だによく堅固(カタ)まりて、動くことなければ、晝夜からぶみをのみよむといへども、かれに惑はさるゝうれひはなきなり、然れども世の人、とかく倭魂(ヤマトタマシヒ)かたまりにくき物にて、から書をよめば、そのことよきにまどはされて、たぢろきやすきならひ也、ことよきとは、その文辞を、麗(ウルハ)しといふにはあらず、詞の巧にして、人の思ひつきやすく、まどはされやすきさまなるをいふ也、すべてから書は、言巧にして、ものの理非を、かしこくいひまはしたれば、人のよく思ひつく也、すべて学問すぢならぬ 、よのつねの世俗の事にても、弁舌よく、かしこく物をいひまはす人の言には、人のなびきやすき物なるが、漢籍もさやうなるものと心得居べし、
<ナ>古書の注釈を作らんと云々、 書をよむに、たゞ何となくてよむときは、いかほど委く見んと思ひても、限リあるものなるに、みづから物の注釈をもせんと、こゝろがけて見るときには、何れの書にても、格別 に心のとまりて、見やうのくはしくなる物にて、それにつきて、又外にも得る事の多きもの也、されば其心ざしたるすぢ、たとひ成就はせずといへども、すべて学問に大いに益あること也、是は物の注釈のみにもかぎらず、何事にもせよ、著述をこゝろがくべき也、
<ラ>万葉集をよくまなぶべし、 此書は、歌の集なるに、二典の次に挙て、道をしるに甚ダ益ありといふは、心得ぬ ことに、人おもふらめども、わが師ノ大人の古学のをしへ、専ラこゝにあり、其説に、古ヘの道をしらんとならば、まづいにしへの歌を学びて、古風の歌をよみ、次に古の文を学びて、古ヘぶりの文をつくりて、古言をよく知リて、古事記日本紀をよくよむべし、古言をしらでは、古意はしられず、古意をしらでは、古の道は知リがたかるべし、といふこゝろばへを、つねづねいひて、教へられたる、此教へ迂遠(マハリドホ)きやうなれども、然らず、その故は、まづ大かた人は、言(コトバ)と事(ワザ)と心(ココロ)と、そのさま大抵相かなひて、似たる物にて、たとへば心のかしこき人は、いふ言のさまも、なす事(ワザ)のさまも、それに応じてかしこく、心のつたなき人は、いふ言のさまも、なすわざのさまも、それに応じてつたなきもの也、又男は、思ふ心も、いふ言も、なす事も、男のさまあり、女は、おもふ心も、いふ言も、なす事(ワザ)も、女のさまあり、されば時代々々の差別 も、又これらのごとくにて、心も言も事も、上代の人は、上代のさま、中古の人は、中古のさま、後世の人は、後世のさま有て、おのおのそのいへる言となせる事と、思へる心と、相かなひて似たる物なるを、今の世に在て、その上代の人の、言をも事をも心をも、考へしらんとするに、そのいへりし言は、歌に伝はり、なせりし事は、史に伝はれるを、その史も、言を以て記したれば、言の外ならず、心のさまも、又歌にて知ルべし、言と事と心とは其さま相かなへるものなれば、後世にして、古の人の、思へる心、なせる事(ワザ)をしりて、その世の有さまを、まさしくしるべきことは、古言古歌にある也、さて古の道は、二典の神代上代の事跡のうへに備はりたれば、古言古歌をよく得て、これを見るときは、其道の意、おのづから明らかなり、さるによりて、上にも、初学のともがら、まづ神代正語をよくよみて、古語のやうを口なれしれとはいへるぞかし、古事記は、古伝説のまゝに記されてはあれども、なほ漢文なれば、正(マサ)しく古言をしるべきことは、万葉には及ばず、書紀は、殊に漢文のかざり多ければ、さら也、さて二典に載れる歌どもは、上古のなれば、殊に古言古意をしるべき、第一の至宝也、然れどもその数多からざれば、ひろく考るに、ことたらざるを、万葉は、歌数いと多ければ、古言はをさをさもれたるなく、伝はりたる故に、これを第一に学べとは、師も教へられたる也、すべて神の道は、儒仏などの道の、善悪是非をこちたくさだせるやうなる理窟は、露ばかりもなく、たゞゆたかにおほらかに、雅(ミヤビ)たる物にて、歌のおもむきぞ、よくこれにかなへりける、さて此万葉集をよむに、今の本、誤字いと多く、訓もわろきことおほし、初学のともがら、そのこゝろえ有べし、
<ム>みづからも古風の歌をまなびてよむべし、 すべて万ズの事、他のうへにて思ふと、みづからの事にて思ふとは、浅深の異なるものにて、他のうへの事は、いかほど深く思ふやうにても、みづからの事ほどふかくはしまぬ 物なり、歌もさやうにて、古歌をば、いかほど深く考へても、他のうへの事なれば、なほ深くいたらぬ ところあるを、みづからよむになりては、我ガ事なる故に、心を用ること格別 にて、深き意味をしること也、さればこそ師も、みづから古風の歌をよみ、古ぶりの文をつくれとは、教へられるなれ、文の事は、古文は、延喜式八の巻なる諸の祝詞、続紀の御世々々の宣命など、古語のまゝにのこれる文也、二典の中にも、をりをりは古語のまゝなる文有リ、其外の古書共にも、をりをりは古文まじれることあり、これかれをとりて、のりとすべし、万葉は歌にて、歌と文とは、詞の異なることなどあれども、歌と文との、詞づかひのけぢめを、よくわきまへえらびてとらば、歌の詞も、多くは文にも用ふべきものなれば、古文を作る学びにも、万葉はよく学ばではかなはぬ 書也、なほ文をつくるべき学びかた、心得なども、古体近体、世々のさまなど、くさぐさいふべき事多くあれども、さのみがこゝにつくしがたし、大抵歌に准へても心得べし、そのうち文には、いろいろのしなあることにて、其品によりて、詞のつかひやう其外、すべての書キやう、かはれること多ければ、其心得有べし、いろいろのしなとは、序、或は論、或は紀事、或は消息など也、さて後世になりて、万葉ぶりの歌を、たててよめる人は、たゞ鎌倉ノ右大臣殿のみにして、外には聞えざりしを、吾師ノ大人のよみそめ給ひしより、其教によりて、世によむ人おほく出来たるを、其人どもの心ざすところ、必しも古の道を明らめんためによむにはあらず、おほくはたゞ歌を好みもてあぞぶのみにして、その心ざしは、近世風の歌よみの輩と、同じこと也、さればよき歌をよみ出むと心がくることも、近世風の歌人とかはる事なし、それにつきては、道のために学ぶすぢをば、姑くおきて、今は又ただ歌のうへにつきての心得どもをいはんとす、そもそも歌は、思ふ心をいひのぶるわざといふうちに、よのつねの言とはかはりて、必ズ詞にあやをなして、しらべをうるはしくとゝのふる道なり、これ神代のはじめより然り、詞のしらべにかゝはらず、たゞ思ふまゝにいひ出るは、つねの詞にして、歌といふものにはあらず、さてその詞のあやにつきて、よき歌とあしき歌とのけぢめあるを、上代の人は、たゞ一わたり、歌の定まりのしらべをとゝのへてよめるのみにして、後世の人のやうに、思ひめぐらして、よくよまんとかまへ、たくみてよめることはなかりし也、然れども、その出来たるうへにては、おのづからよく出来たると、よからざるとが有て、その中にすぐれてよく出来たる歌は、世間にもうたひつたへて、後ノ世までものこりて、二典に載れる歌どもなど是也、されば二典なる歌は、みな上代の歌の中にも、よにすぐれたるかぎりと知べし、古事記には、たゞ歌をのせんためのみに、其事を記されたるも、これかれ見えたるは、その歌のすぐれたるが故なり、さてかくのごとく歌は、上代よりして、よきとあしきと有て、人のあはれときゝ、神の感じ給ふも、よき歌にあること也、あしくては、人も神も、感じ給ふことなし、神代に天照大御神の、天の石屋(イハヤ)にさしこもり坐(マシ)し時、天ノ兒屋根ノ命の祝詞(ノリトゴト)に、感じ給ひしも、その辞のめでたかりし故なること、神代紀に見えたるがごとし、歌も准へて知ルべし、さればやゝ世くだりては、かまへてよき歌をよまんと、もとむるやうになりぬ るも、かならず然らではえあらぬ、おのづからの勢ヒにて、万葉に載れるころの歌にいたりては、みなかまへてよくよまんと、求めたる物にこそあれ、おのづからに出来たるは、いとすくなかるべし、万葉の歌すでに然るうへは、まして後世今の世には、よくよまんとかまふること、何かはとがむべき、これおのづからの勢ヒなれば、古風の歌をよまん人も、随分に詞をえらびて、うるはしくよろしくよむべき也、
<ウ>万葉の歌の中にても云々、 此集は、撰びてあつめたる集にはあらず、よきあしきえらびなく、あつめたれば、古ヘながらも、あしき歌も多し、善悪をわきまへて、よるべきなり、今の世、古風をよむともがらの、よみ出る歌を見るに、万葉の中にても、ことに耳なれぬ 、あやしき詞をえり出つかひて、ひたすらにふるめかして、人の耳をおどろかさんとかまふるは、いといとよろしからむこと也、歌も文も、しひてふるくせんとて、求め過たるは、かへすかへすうるさく、見ぐるしきものぞかし、万葉のなかにても、たゞやすらかに、すがたよき歌を、手本として、詞もあやしきをば好むまじき也、さて又歌も文も、同じ古風の中にも、段々有て、いたく古きと、さもあらぬ とあれば、詞もつゞけざまも、大抵その全体のほどに応ずべきことなるに、今の人は、全体のほどに応ぜぬ 詞をつかふこと多くして、一首一編の内にも、いたくふるき詞づかひのあるかと見れば、又むげに近き世の詞もまじりなどして、其体混雑せり、すべて古風家の歌は、後世家の、あまり法度にかゝはり過るを、にくむあまりに、たゞ法度にかゝはらぬ を、心高くよき事として、そのよみかた、甚ダみだりなり、万葉のころとても、法度といふことこそなけれ、おのづから定まれる則(ノリ)は有て、みだりにはあらざりしを、法度にかゝはらぬ を、古ヘと心得るは、大にひがごと也、既に今の世にして、古ヘをまねてよむからは、古ヘのさだまりにかなはぬ 事有ては、古風といふ物にはあらず、今の人は、口にはいにしへいにしへと、たけだけしくよばはりながら、古ヘの定まりを、えわきまへざるゆゑに、古ヘは定まれることはなかりし物と思ふ也、万葉風をよむことは、ちかきほど始まりたることにて、いまだその法度を示したる書などもなき故に、とかく古風家の歌は、みだりなることおほきぞかし、
<ヰ>長歌をもよむべし、 長歌は、古風のかた殊にまされり、古今集なるは、みなよくもあらず、中にいとつたなきもあり、大かた今の京になりての世には、長歌よむことは、やうやうにまれになりて、そのよみざまも、つたなくなりし也、後世にいたりては、いよいよよむことまれなりしを、万葉風の歌をよむ事おこりて、近きほどは、又皆長歌をも多くよむこととなりて、其中には、万葉集に入ルとも、をさをさはづかしかるまじきほどのも、まれには見ゆるは、いともいともめでたき大御世の栄えにぞ有ける、そもそも世の中のあらゆる諸の事の中には、歌によまんとするに、後世風にては、よみとりがたき事の多かるに、返て古風の長歌にては、よくよみとらるゝことおほし、これらにつけても、古風の長歌、必ズよみならふべきこと也、
<ノ>又後世風をもすてずして云々、 今の世、万葉風をよむ輩は、後世の歌をば、ひたすらあしきやうに、いひ破れども、そは実によきあしきを、よくこゝろみ、深く味ひしりて、然いふにはあらず、たゞ一わたりの理にまかせて、万ヅの事、古ヘはよし、後世はわろしと、定めおきておしこめてそらづもりにいふのみ也、又古と後世との歌の善悪を、世の治乱盛衰に係(カケ)ていふも、一わたりの理論にして、事実にはうときこと也、いと上代の歌のごとく、実情のまゝをよみいでばこそ、さることわりもあらめ、後世の歌は、みなつくりまうけてよむことなれば、たとひ治世の人なりとも、あしき風を学びてよまば、其歌あしかるべく、乱世の人にても、よき風をまなばば、其歌などかあしからん、又男ぶり女ぶりのさだも、緊要にあらず、つよき歌よわき歌の事は、別 にくはしく論ぜり、大かた此古風と後世と、よしあしの論は、いといと大事にて、さらにたやすくはさだめがたき、子細どもあることなるを、古学のともがら、深きわきまへもなく、かろがろしくたやすげに、これをさだめいふは、甚ダみだりなること也、そもそも古風家の、後世の歌をわろしとするところは、まづ歌は、思ふこゝろをいひのぶるわざなるに、後世の歌は、みな実情にあらず、題をまうけて、己が心に思はぬ 事を、さまざまとつくりて、意をも詞をも、むつかしくくるしく巧みなす、これみな偽リにて、歌の本意にそむけり、とやうにいふこれ也、まことに一わたりのことわりは、さることのやうなれども、これくはしきさまをわきまへざる論也、其故は、上にいへる如く、歌は、おもふまゝに、たゞにいひ出る物にあらず、かならず言にあやをなして、とゝのへいふ道にして、神代よりさる事にて、そのよく出来てめでたきに、人も神も感じ給ふわざなるがゆゑに、既に万葉にのれるころの歌とても、多くはよき歌をよまむと、求めかざりてよめる物にして、実情のまゝのみにはあらず、上代の歌にも、枕詞序詞などのあるを以てもさとるべし、枕詞や序などは、心に思ふことにはあらず、詞のあやをなさん料に、まうけたる物なるをや、もとより歌は、おもふ心をいひのべて、人に聞カれて、聞ク人のあはれと感ずるによりて、わが思ふ心は、こよなくはるくることなれば、人の聞クところを思ふも、歌の本意也、されば世のうつりもてゆくにしたがひて、いよいよ詞にあやをなし、よくよまむともとめたくむかた、次第次第に長(チヤウ)じゆくは、必ズ然らではかなはぬ 、おのづからの勢ヒにて、後世の歌に至りては、実情をよめるは、百に一ツも有がたく、皆作りことになれる也、然はあれども、その作れるは、何事を作れるぞといへば、その作りざまこそ、世々にかはれることあれ、みな世の人の思ふ心のさまを作りいへるなれば、作り事とはいへども、落るところはみな、人の実情のさまにあらずといふことなく、古ヘの雅情にあらずといふことなし、さればひたすらに後世風をきらふは、その世々に変じたるところをのみ見て、変ぜぬ ところのあることをばしらざる也、後世の歌といへども、上代と全く同じきところあることを思ふべし、猶いはば、今の世の人にして、万葉の古風をよむも、己が実情にあはず、万葉をまねびたる作り事也、もしおのが今思ふ実情のまゝによむをよしとせば、今の人は、今の世俗のうたふやうなるうたをこそよむべけれ、古ヘ人のさまをまねふべきにはあらず、万葉をまねぶも、既に作り事なるうへは、後世に題をまうけて、意を作りよむも、いかでかあしからん、よき歌をよまんとするには、数おほくよまずはあるべからず、多くよむには、題なくはあるべからず、これらもおのづから然るべきいきほひ也、そもそも後世風、わろき事もあるは、勿論のこと也、然れどもわろき事をのみえり出て、わろくいはんには、古風の方にも、わろきことは有べし、一トむきに後世をのみ、いひおとすべきにあらず、後世風の歌の中にも、又いひしらずめでたくおもしろく、さらに古風にては、よみえがたき趣どもの有ルこと也、すべてもろもろの事の中には、古ヘよりも、後世のまされる事も、なきにあらざれば、ひたぶるに後世を悪しとすべきにもあらず、歌も、古ヘと後とを、くらべていはんには、たがひに勝劣ある中に、おのれ数十年よみこゝろみて、これを考るに、万葉の歌のよきが、ゆたかにすぐれたることは、勿論なれども、今の世に、それをまなびてよむには、猶たらはぬ ことあるを、世々を経て、やうやうにたらひて、備はれる也、さればこそ、今の世に古風をよむ輩も、初心のほどこそ、何のわきまへもなく、みだりによみちらせ、すこしわきまへも出来ては、万葉風のみにては、よみとりがたき事など多き故に、やうやうと後世風の意詞をも、まじへよむほどに、いつしか後世風にちかくなりゆきて、なほをりをりは、ふるめきたる事もまじりて、さすがに全くの後世風にもあらず、しかも又古今集のふりにもあらず、おのづから別 に一風なるも多きぞかし、これ古風のみにては、事たらざるところのあるゆゑなり、すべて後世風をもよまではえあらぬ よしを、なほいはば、まづ万葉の歌を見るに、やすらかにすがたよきは、其趣いづれもいづれも、似たる事のみ多く、よめる意大抵定まれるが如くにて、或は下ノ句全く同じき歌などもおほく、すべて同じやうなる歌いと多し、まれまれにめづらしき事をよめるは、多くはいやしげにて、歌ざまよろしからず、然るを万葉の後今の世まで、千余年を経たる間ダ、歌よむ人、みなみな万葉風をのみ守りて変ぜずして、しかもよき歌をよまんとせば、皆万葉なる歌の口まねをするやうにのみ出来て、外によむべき事なくして、新タによめる詮なかるべし、されば世々を経て、古人のよみふるさぬ おもむきを、よみ出んとするには、おのづから世々に、そのさま変ぜではかなはず、次第にたくみもこまやかにふかくなりゆかではかなはぬ だうり也、古人の多くよみたる事を、同じさまによみたらんには、其歌よしとしても、人も神も感じ給ふことあるべからず、もし又古ヘによみふるさぬ 事を、一ふしめずらしく、万葉風にてよまんとせば、いやしくあしき歌になりぬ べし、かの集の歌すらさやうなれば、ま
して今の世をや、此事猶一ツのたとへを以ていはん、古風は白妙衣のごとく、後世風は、くれなゐ紫いろいろ染たる衣のごとし、白妙衣は、白たへにしてめでたきを、染衣も、その染色によりて、又とりどりにめでたし、然るを白妙めでたしとて、染たるをば、ひたぶるにわろしとすべきにあらず、たゞその染たる色には、よきもありあしきもあれば、そのあしきをこそ棄ツべきなれ、色よきをも、おしこめてすてんは、偏(ヒトムキ)ならずや、今の古風家の論は、紅紫などは、いかほど色よくても、白妙に似ざれば、みなわろしといはんが如し、宣長もはら古学によりて、人にもこれを教へながら、みづからよむところの歌、古風のみにあらずして、後世風をも、おほくよむことを、心得ずと難ずる人多けれども、わが思ひとれるところは、上の件のごとくなる故に、後世風をも、すてずしてよむ也、其中に古風なるは数すくなくして、返て後世風なるが多きは、古風をよむべき事すくなく、後世風をよむ事おほきが故也、すべていにしへは、事すくなかりしを、後世になりゆくまにまに、万の事しげくなるとおなじ、さて吾は、古風後世風ならべよむうちに、古と後とをば、清くこれを分ちて、たがひに混雑なきやうにと、深く心がくる也、さて又初学の輩、わがをしへにしたがひて、古風後世風ともによまんとせんに、まづいづれを先キにすべきぞといふに、万の事、本をまづよくして後に、末に及ぶべきは勿論のことなれども、又末よりさかのぼりて、本にいたるがよき事もある物にて、よく思ふに、歌も、まず後世風より入て、そを大抵得て後に、古風にかゝりてよき子細もあり、その子細を一ツ二ツいはば、後世風をまづよみならひて、その法度のくはしきをしるときは、古風をよむにも、その心得有て、つゝしむ故に、あまりみだりなることはよまず、又古風は時代遠ければ、今の世の人、いかによくまなぶといへども、なほ今の世の人なれば、その心全く古人の情のごとくには、変化しがたければ、よみ出る歌、古風とおもへども、猶やゝもすれば、近き後世の意詞のまじりやすきもの也、すべて歌も文も、古風と後世とは、全体その差別 なくてはかなはざるに、今の人の歌文は、とかく古と後と、混雑することをまぬ かれざるを、後世風をまづよくしるときは、是は後世ぞといふことを、わきまへしる故に、その誤リすくなし、後世風をしらざれば、そのわきまへなき故に、返て後世に落ることおほきなり、すべて古風家、後世風をば、いみしく嫌ひながら、みづから後世風の混雑することをえしらざるは、をかしきこと也、古風をよむひとも、まづ後世風を学びて益あること、猶此外にも有也、古と後との差別 をだによくわきまふるときは、後世風をよむも、害あることなし、にくむべきことにあらず、たゞ古と後と混雑するをこそ、きらふべきものなれ、これはたゞ歌文のうへのみにもあらず、古の道をあきらむる学問にも、此わきまへなくしては、おぼえず後世意にも漢意にも、落入ルこと有べし、古意と後世意と漢意とを、よくわきまふること、古学の肝要なり、
<オ>後世風の中にもさまざまよきあしきふりふりあるを云々、 かの染衣のさまざまの色には、よきも有リあしきもあるが如く、後世風の歌も、世々を経て、つぎつぎにうつり変れる間ダには、よきとあしきとさまざまの品ある、其中にまず古今集は、世もあがり、撰びも殊に精しければ、いといとめでたくして、わろき歌はすくなし、中にもよみ人しらずの歌どもには、師もつねにいはれたるごとく、殊によろしきぞ多かる、そはおほくふるき歌の、ことにすぐれたる也、さて此集は、古風と後世風との中間に在りて、かのふるき歌どもになどは、万葉の中のよき歌どものさまと、をさをさかはらぬ もおほくして、殊にめでたければ、古風の歌を学ぶ輩も、これをのりとしてよろしき也、然れども大かた光孝天皇宇多天皇の御代のころよりこなたの歌は、万葉なるとはいたくかはりて、後世風の方にちかきさまなれば、此集をば、姑く後世風の始めの、めでたき歌とさだめて、明暮にこれを見て、今の京となりてこのかたの、歌といふ物のすべてのさまを、よく心にしむべき也、次に後撰集拾遺集は、えらびやう甚ダあらくみだりにして、えもいはれぬ わろき歌の多き也、然れどもよき歌も又おほく、中にはすぐれたるものもまじれり、さて次に後拾遺集よりこなたの、代々の撰集ども、つぎつぎに盛衰善悪さまざまあれども、そをこまかにいはむには、甚ダ事長ければ、今は省きて、その大抵をつまみていはば、其間ダに新古今集は、そのころの上手たちの歌どもは、意も詞もつゞけざまも、一首のすがたも、別 に一ツのふりにて、前にも後にもたぐひなく、其中に殊によくとゝのひたるは、後世風にとりては、えもいはずおもしろく心ふかくめでたし、そもそも上代より今の世にいたるまでを、おしわたして、事のたらひ備りたる、歌の真盛(マサカリ)は、古今集ともいふべけれども、又此新古今にくらべて思へば、古今集も、なほたらはずそなはらざる事あれば、新古今を真盛といはんも、たがふべからず、然るに古風家の輩は、殊に此集をわろくいひ朽(クタ)すは、みだりなる強(シヒ)ごと也、おほかた此集のよき歌をめでざるは、風雅の情をしらざるものとこそおぼゆれ、但し此時代の歌人たち、あまりに深く巧をめぐらされたるほどに、其中に又くせ有て、あしくよみ損じたるは、殊の外に心得がたく、無理なるもおほし、されどさるたぐひなるも、詞うるはしく、いひまはしの巧なる故に、無理なる聞えぬ 事ながらに、うちよみあぐるに、おもしろくて捨がたくおぼゆるは、此ほどの歌共也、されどこれは、此時代の上手たちの、あやしく得たるところにて、さらに後の人の、おぼろげにまねび得べきところにはあらず、しひてこれをまなびなば、えもいはぬ すゞろごとになりぬべし、いまだしきほどの人、ゆめゆめこのさまをしたふべからず、されど又、歌のさまをくはしくえたらんうへにては、さのみいひてやむべきにもあらず、よくしたゝめなば、まねび得ることも、などかは絶てなからん、さて又玉 葉風雅の二ツの集は、為兼卿流の集なるが、彼卿の流の歌は、皆ことやうなるものにして、いといやしくあしき風なり、されば此一流は、其時代よりして、異風と定めしこと也、さて件ンの二集と、新古今とをのぞきて外は、千載集より、廿一代のをはり新続古今集までのあひだ、格別 にかはれることなく、おしわたして大抵同じふりなる物にて、中古以来世間普通 の歌のさまこれなり、さるは世の中こぞりて、俊成卿定家卿の教ヘをたふとみ、他門の人々とても、大抵みなその掟を守りてよめる故に、よみかた大概に同じやうになりて、世々を経ても、さのみ大きにかはれる事はなく、定まれるやうになれるなるべし、世に二條家の正風体といふすがた是也、此ノ代々の集の内にも、すこしづゝは、勝劣も風のかはりもあれども、大抵はまづ同じこと也、さて初学の輩の、よむべき手本には、いづれをとるべきぞといふに、上にいへるごとく、まづ古今集をよく心にしめておきて、さて件ンの千載集より新続古今集までは、新古今と玉 葉風雅とをのぞきては、いづれをも手本としてよし、然れども件の代々の集を見渡すことも、初心のほどのつとめには、たへがたければ、まづ世間にて、頓阿ほふしの草庵集といふ物などを、會席などにもたづさへ持て、題よみのしるべとすることなるが、いかにもこれよき手本也、此人の歌、かの二條家の正風といふを、よく守りて、みだりなることなく、正しき風にして、わろき歌もさのみなければ也、其外も題よみのためには、題林愚抄やうの物を見るも、あしからず、但し歌よむ時にのぞみて、歌集を見ることは、癖(クセ)になるものなれば、なるべきたけは、書を見ずによみならふやうにすべし、たゞ集共をば、常々心がけてよく見るべき也、さてこれより近世のなべての歌人のならひの、よろしからざる事共をいひて、さとさむとす、そはまづ道統といひて、其伝来の事をいみしきわざとして、尊信し、歌も教ヘも、たゞ伝来正しき人のみ、ひたすらによき物とかたくこゝろえ、伝来なき人のは、歌も教ヘも、用ひがたきものとし、又古ヘの人の歌及び其家の宗匠の歌などをば、よしあしきを考へ見ることもなく、たゞ及ばぬ こととして、ひたぶるに仰ぎ尊み、他門の人の歌といへば、いかほどよくても、これをとらず、心をとゞめて見んともせず、すべて己が学ぶ家の法度掟を、ひたすらに神の掟の如く思ひて、動くことなく、これをかたく守ることのみ詮とするから、その教ヘ法度にくゝられて、いたくなづめる故に、よみ出る歌みなすべて、詞のつゞけざまも、一首のすがたも、近世風又一トやうに定まりたる如くにて、わろきくせ多く、其さまいやしく窮屈にして、たとへば手も足もしばりつけられたるものの、うごくことかなはざるがごとく、いとくるしくわびしげに見えて、いさゝかもゆたかにのびらかなるところはなきを、みづからかへり見ることなく、たゞそれをよき事と、かたくおぼえたるは、いといと固陋にして、つたなく愚なること、いはんかたなし、かくのごとくにては、歌といふものの本意にたがひて、さらに雅(ミヤビ)の趣にはあらざる也、そもそも道統伝来のすぢを、重くいみしき事にするには、もと仏家のならひよりうつりて、宋儒の流なども然也、仏家には、諸宗おのおの、わが宗のよゝの祖師の説をば、よきあしきをえらぶことなく、あしきことあるをも、おしてよしと定めて尊信し、それにたがへる他の説をば、よくても用ひざるならひなるが、近世の神学者歌人などのならひも、全くこれより出たるもの也、さるは神学者歌人のみにもあらず、中昔よりこなた、もろもろの芸道なども、同じ事にて、いと愚なる世のならはしなり、たとひいかほど伝来はよくても、その教よろしからず、そのわざつたなくては、用ひがたし、其中に諸芸などは、そのわざによりては、伝来を重んずべきよしもあれども、学問や歌などは、さらにそれによることにあらず、古ヘの集共を見ても知べし、その作者の家すぢ伝来には、さらにかゝはることなく、誰にもあれ、ひろくよき歌をとれり、されば定家卿の教ヘにも、和歌に師匠なしとのたまへるにあらずや、さて又世々の先達の立チおかれたる、くさぐかの法度掟の中には、かならず守るべき事も多く、又中にはいとつたなくして、必ズかゝはるまじきも多きことなるに、ひたぶるに固くこれを守るによりて、返て歌のさまわろくなれることも、近世はおほし、すべて此道の掟は、よきとあしきとをえらびて、守るべき也、ひたすらになづむべきにはあらず、又古人の歌は、みな勝(スグ)れたる物のごとくこゝろえ、たゞ及ばぬ 事とのみ思ひて、そのよしあしを考へ見んともせざるは、いと愚なること也、いにしへに歌といへども、あしきことも多く、歌仙といへども、歌ごとに勝(スグ)れたる物にもあらざれば、たとひ人まろ貫之の歌なりとも、実によき与あしき与を、考へ見て、及ばぬ までも、いろいろと評論をつけて見るべき也、すべて歌の善悪を見る稽古、これに過たる事なし、大に益あること也、然るに近世の歌人のごとく、及ばぬ 事とのみ心得居ては、すべて歌の善悪を見分べき眼の、明らかになるよしなくして、みづからの歌も、よしあしやをわきまふることあたはず、さやうにていつまでもたゞ、宗匠にのみゆだねもたれてあらんは、いふかいなきわざならずや、すべて近世風の歌人のごとく、何事も愚につたなき学びかたにては、生涯よき歌は出来るものにあらずと知べし、さて又はじめにいへる如く、歌をよむのみにあらず、ふるき集共をはじめて、歌書に見えたる万の事を、解キ明らむる学ビ有リ、世にこれを分て歌学者といへり、歌学といへば、歌よむ事とをまなぶことなれども、しばらく件のすぢを分て然いふ也、いにしへに在リては、顕昭法橋など此すぢなるが、其説は、ゆきたらはぬ 事多けれども、時代ふるき故に、用ふべき事もすくなからざるを、近世三百年以来の人々の説は、かの近世やうの、おろかなる癖(クセ)おほきうへに、すべてをさなきことのみなれば、いふにもたらず、然るに近く契沖ほふし出てより、此学大キにひらけそめて、歌書のとりさばきは、よろしくなれり、さて歌をよむ事をのみわざとすると、此歌学の方をむねとすると、二やうなるうちに、かの顕昭をはじめとして、今の世にいたりても、歌学のかたよろしき人は、大抵いづれも、歌よむかたつたなくて、歌は、歌学のなき人に上手がおほきもの也、こは専一にすると、然らざるとによりて、さるだうりも有ルにや、さりとて歌学のよき人のよめる歌は、皆必ズわろきものと、定めて心得るはひがこと也、此二すぢの心ばへを、よく心得わきまへたらんには、歌学いかでか歌よむ妨ゲとはならん、妨ゲとなりて、よき歌をえよまぬ は、そのわきまへのあしきが故也、然れども歌学の方は、大概にても有べし、歌よむかたをこそ、むねとはせまほしけれ、歌学のかたに深くかゝづらひては、仏書からぶみなどにも、広くわたらでは、事たらはぬ わざなれば、其中に無益の書に、功(テマ)をつひやすこともおほきぞかし、
<ク>物語ぶみどもをもつねに見るべし、 此事の子細は、源氏物語の玉の小櫛に、くはしくいへれば、こゝにはもはらしつ、
<ヤ>いにしへ人の風雅(ミヤビ)のおもむきをしる云々、 すべて人は、雅(ミヤビ)の趣をしらでは有ルべからず、これをしらざるは、物のあはれをしらず、心なき人なり、かくてそのみやびの趣をしることは、歌をよみ、物語書などをよく見るにあり、然して古ヘのみやびたる情をしり、すべて古ヘの雅(ミヤビ)たる世の有リさまを、よくしるは、これ古の道をしるべき階梯也、然るに世間の物学びする人々のやうを見渡すに、主(ムネ)と道を学ぶ輩は、上にいへるごとくにておほくはたゞ漢流の議論理窟にのみかゝづらひて、歌などよむをば、たゞあだ事のやうに思ひすてて、歌集などは、ひらきて見ん物ともせず、古人の雅情を、夢にもしらざるが故に、その主とするところの古の道をも、しることあたはず、かくのごとくにては、名のみ神道にて、たゞ外国の意のみなれば、実には、道を学ぶといふものにはあらず、さて又歌をよみ文を作りて、古をしたひ好む輩は、たゞ風流のすぢにのみまつはれて、道に事をばうちすてて、さらに心にかくることなければ、よろづにいにしへをしたひて、ふるき衣服調度などをよろこび、古き書をこのみよむたぐひなども、皆たゞ風流のための玩物にするのみ也、そもそも人としては、いかなる者も、人の道をしらでは有べからず、殊に何のすぢにもせよ、学問をもして、書をもよむほどの者の、道に心をよすることなく、神のめぐみのたふときわけなどもしらず、なほざりに思ひて過すべきことにはあらず、古ヘをしたひたふとむとならば、かならずまづその本たる道をこそ、第一に深く心がけて、明らめしるべきわざなるに、これをさしおきて、末にのみかゝづらふは、実にいにしへを好むといふものにはあらず、さては歌をよむも、まことにあだ事にぞ有ける、のりなががをしへにしたがひて、ものまなびせんともがらは、これらのこゝろをよく思ひわきまへて、あなかしこ、道をなほざりに思ひ過すことなかれ、
こたみ此書かき出デつることは、はやくより、をしへ子どもの、ねんごろにこひもとめけるを、年ごろいとまなくなどして、聞過しきぬ るを、今は古事記ノ伝もかきをへつればとて、又せちにせむるに、さのみもすぐしがたくて、物しつる也、にはかに思ひおこしたるしわざなれば、なほいふべき事どもの、もれたるなども多かりなんを、うひまなびのためには、いさゝかたすくるやうもありなんや、
    いかならむうひ山ぶみのあさごろも
             浅きすそ野のしるべばかりも
                           本  居  宣  長
寛政十年十月の廿一日のゆふべに書をへぬ

                    須 受 能 耶  蔵 板


目 次
もどる