『古今集遠鏡 例言』



 雲のゐる とほきこずゑも とほかゞみ うつせばこゝに みねのもみぢ葉

此書は、古今集の歌どもを、ことごとくいまの世の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せる也。

そもそもこの集は、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくどものあまた有て、のこれるふしもあらざンなるに、今さらさるわざは、いかなればといふに、かの注釈(チユウサク)といふすぢは、たとへばいとはるかなる高き山の梢どもの、ありとばかりは、ほのかに見ゆれど、その木とだに、あやめもわかぬを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よく見しれるに、さしてかれはととひたらむに、何の木くれの木。もとだちはしかじか、梢のあるやうは、かくなむとやうに、語り聞せたらむがごとし。さるはいかによくしりて、いかにつぶさに物したらむにも、人づての耳(ミミ)は、かぎりしあれば、ちかくて見るめのまさしきには、猶にるべくもあらざんめるを、世に遠(トホ)めがねとかいふなる物のあるして、うつし見るには、いかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さしの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかりに見ゆるにあらずや、今此遠き代の言の葉の、くれなゐ深き心ばへを、やすくちかく、手染の色にうつして見するも、もはらこのめがねのたとひにかなへらむ物をや。

かくて此事はしも、尾張の横井ノ千秋ぬしの、はやくよりこひもとめられたるすぢにて、はじめよりうけひきては有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、えしもはたさず、あまたの年へぬるを、いかにいかにと、しばしばおどろかさるゝに、あながちに思ひおこして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさことも、此同じぬしのねぎことにこそ有しか、さのみ聞けむとやうに、しりうごつともがらも有べかンめれど、例のいと深くまめなるこゝろざしは、みゝなし山の神とはなしに、さて過すべくもあらずてなむ。

○ うひまなびなどのためには、ちうさくは、いかにくはしくときたるも、物のあぢはひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやうにて、詞のいきほひ、てにをはのはたらきなど、こまかなる趣にいたりては、猶たしかにはえあらねば、其事を今おのが心に思ふがごとは、さとりえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるは、たゞにみづからさ思ふにひとしくて、物の味を、みづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅言(ミヤビゴト)みな、おのがはらの内の物としなれれば、一うたのこまかなる心ばへの、こよなくたしかにえらるゝことおほきぞかし。

○ 俗言(サトビゴト)は、かの国この里と、ことなることおほき中には、みやびごとにちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばは、あまねくよもにはわたしがたければ、かゝることにとり用ひがたし。大かたは京わたりの詞して、うつすべきわざ也。たゞし京のにも、えりすつべきは有て、なべてはとりがたし。

○ 俗言(サトビゴト)にも、しなじなのある中に、あまりいやしき、又たはれすぎたる、又時々のいまめき詞などは、はぶくべし。又うるはしくもてつけていふと、うちとけたるとのたがひあるを、歌はことに思ふ情(ココロ)のあるやうのまゝに。ながめ出たる物なれば、そのうちとけたる詞して、訳(ウツ)すべき也。うちとけたるは、心のまゝにいひ出たる物にて、みやびことのいきほひに、今すこしよくあたればぞかし。又男のより、をうな〔女〕の詞は、ことにうちとけたることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらはなるものなれば、歌のいきほひに、よくかなへることおほかれば、をうなめきたるをも、つかふべきなり。又いはゆるかたことをも用ふべし。たとへばおのがことを。うるはしくは「わたくし」といふを、はぶきてつねに、「ワタシ」とも「ワシ」ともいひ、「ワシハ」といふべきを、「ワシヤ」、「それは」を「ソレヤ」、「すれば」を「スレヤ」といふたぐひ。また「そのやうな」「このやうな」を。「ソンナ」「コンナ」といひ、「ならば」「たらば」を。「ば」を省て「ナラ」「タラ」。「さうして」を「ソシテ」。「よからう」を「ヨカロ」、とやうにいふたぐひ。ことにうちとけたることなるを、これはたいきほひにしたがひては、中々にうるはしくいふよりは、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり。

○ すべて人の語(コトバ)は、同じくいふことも、いひざまいきほひにしたがひて、深くも浅くも、をかしくもうれたくも聞ゆるわざにて、歌はことに、心のあるやうを、たゞにうち出たる趣なる物なるに、その詞の、口のいひざまいきほひはしも、たゞに耳にきゝとらでは、わきがたければ、詞のやうをよくあぢはひて、よみ人の心をおしはかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべきなり。たとへば。「春されば野べにまづさく云々」、といへるせどうか〔旋頭歌〕の、訳(ウツシ)のはてに、へヽ/\へヽ/\と、笑ふ声をそへたるなど、さらにおのが今のたはぶれにはあらず。此ノ下ノ句の、たはぶれていへる詞なることを、さとさむとてぞかし。かゝることをだにそへざれば、たはぶれの答へなるよしの、あらはれがたければなり。かゝるたぐひ、いろいろおほし。なずらへてさとるべし。

○ みやびごとは、二つにも三つにも分れたることを、さとび言には、合せて一ツにいふあり。又雅言(ミヤビゴト)は一つなるが、さとびごとにては、二つ三つにわかれたるもあるゆゑに、ひとつ俗言(サトビゴト)を、これにもかれにもあつることあり。又一つ言の訳語(ウツシコトバ)の、こゝとかしこと、異なることもあるなり。

○ まさしくあつべき俗言のなき詞には。一つに二ツ三ツをつらねてうつすことあり。又は上下の語の訳(ウツシ)の中に、其意をこむることあり。あるは二句三句を合せて。そのすべての意をもて訳(ウツ)すもあり。そはたとへば「ことならばさかずやはあらぬ桜花」などの、「ことならば」といふ詞など、一つはなちては、いかにもうつすべき俗言なければ、二句を合せて、「トテモ此ヤウニ早ウ散ルクラヰナラバ一向ニ初メカラサカヌガヨイニナゼサカズニハヰヌゾ」、と訳(ウツ)せるがごとし。

○ 歌によりて、もとの語のつゞきざま、てにをはなどにもかゝはらで、すべて意をえて訳(ウツ)すべきあり。もとの詞つゞき、てにをはなどを、かたくまもりては、かへりて一うたの意にうとくなることもあれば也。たとへば「こぞとやいはむことしとやいはむ」など、詞をまもらば、「去年ト云ハウカ今年トイハウカ」、と訳すべけれども、さては俗言の例にうとし。「去年ト云タモノデアラウカ今年ト云タモノデアラウカ」、とうつすぞよくあたれる。又「春くることをたれかしらまし」など、「春ノキタコトヲ云々」と訳さゞれば、あたりがたし。「来る」と「来タ」とは、たがひあれども、此歌などの「来る」は、「来ぬる」とあるべきことなるを、さはいひがたき故に、くるとはいへるなれば、そのこゝろをえて、「キタ」と訳すべき也。かゝるたぐひいとおほし。なずらへてさとるべし。

○ 詞をかへてうつすべきあり。「花と見て」などの「見て」は、俗言には、「見て」とはいはざれば、「花ヂヤト思フテ」と訳すべし。「わぶとこたへよ」などの類の「こたふる」は、俗言には、「こたふ」とはいはず。たゞ「イフ」といへば、「難儀ヲシテ居ルトイヘ」と訳すべし。又てにをはをかへて訳すべきも有り。「春は来にけり」などの「は」もじは、「春ガキタワイ」と、「ガ」にかふ。此類多し。又てにをはを添フべきもあり。「花咲にけり」などは、「花ガ咲タワイ」と、「ガ」をそふ。此類は殊におほし。すべて俗言には、「ガ」といふことの多き也。雅言の「ぞ」をも、多くは「ガ」と云へり。「花なき里」などは、「花ノナイ里」と、「ノ」をそふ。又はぶきて訳すべきもあり。「人しなければ」、「ぬれてをゆかむ」などの、「し」もじ「を」もじなど、訳言(ウツシコトバ)をあてゝは、中々にわろし。

○ 詞のところをおきかへてうつすべきことおほし。「あかずとやなく山郭公」などは、「郭公」を上へうつして、「郭公ハ残リオホウ思フテアノヤウニ鳴クカ」と訳し、「よるさへ見よとてらす月影」は、「ヨルマデ見ヨトテ月ノ影ガテラス」とうつし。「ちくさに物を思ふころかな」のたぐひは、「ころ」を上にうつして、「コノゴロハイロイロト物思ヒノシゲイ事カナ」と訳し、「うらさびしくも見えわたるかな」は、「わたる」を上へうつして、「見ワタシタトコロガキツウマア物サビシウ見ユルコトカナ」と訳すたぐひにて、これ雅言(ミヤビゴト)と俗言(サトビゴト)と、いふやうのたがひ也。又てにをはも、ところをかへて訳すべきあり。「ものうかるねに鶯ぞなく」など、「ものうかるねにぞ」と、「ぞ」もじは上にあるべき意なれども、さはいひがたき故に。鶯の下におけるなれば。其こゝろをえて、訳すべき也。此例多し。皆なずらふべし。

○ てにをはの事。「ぞ」もじは、訳すべき詞なし。たとへば「花ぞ昔の香ににほひける」のごとき、殊に力を入たる「ぞ」なるを、俗言には「花ガ」といひて、その所にちからをいれて、いきほひにて、雅語の「ぞ」の意に聞カすることなるを、しか口にいふいきほひは、物には書とるべくもあらざれば、今は「サ」といふ辞(コトバ)を添へて、「ぞ」にあてゝ、「花ガサ昔ノ云々」と訳す。「ぞ」もじの例、みな然り。「こそ」は、つかひざま大かた二つある中に「花こそちらめ根さへかれめや」などやうに、むかへていふ事あるは、さとびごとも同じく、「こそ」といへり。今一つ「山風にこそみだるべらなれ」、「雪とのみこそ花はちるらめ」、などのたぐひの「こそ」は、うつすべき詞なし。これは「ぞ」にいとちかければ、「ぞ」の例によれり。「山風にぞ云々」、「雪とのみぞ云々」、といひたらむに、いくばくのたがひもあらざれば也。さるをしひていさゝかのけぢめをもわかむとすれば、中々にうとくなること也。「たが袖ふれしやどの梅ぞも」、「恋もするかな」、などのたぐひの「も」もじは、「マア」と訳す。「マア」は、やがて此もの転(ウツ)れるにぞあらむ。疑ひの「や」もじは、俗語には皆、「カ」といふ。語のつゞきたるなからにあるは、そのはてへうつしていふ。「春やとき花やおそき」とは、「春ガ早イノカ花ガオソイノカ」と訳すがごとし。

○ 「ん」は、俗言にはすべて皆「ウ」といふ。「来ん」「ゆかん」を。「コウ」「イカウ」といふ類なり。「けん」「なん」などの「ん」も同じ。「花やちりけん」は「花ガチツタデアラウカ」、「花やちりなん」は、「花ガチルデアラウカ」と訳す。さて此「チツタデ」といふと、「チルデ」といふとのかはりをもて、「けん」と「なん」とのけぢめをもさとるべし。さて又語のつゞきたるなからにある「ん」は。多くはうつしがたし。たとへば「見ん人は見よ」、「ちりなん後ぞ」、「ちるらん小野の」などのたぐひ、「人」へつゞき、「後」へつゞき、「小野」へつゞきて、「ん」は皆なからにあり。此類は、俗語にはたゞに、「見ル人ハ」、「チツテ後ニ」、「チル小野ノ」のやうにいひて。「見ヤウ人ハ」、「チルデアラフ後ニ」、「チルデアラウ小野ノ」、などはいはざれば也。然るに此類をも、しひて「ん」「なん」「らん」の意を、こまかに訳さむとならば、「散なん後ぞ」は、「オツヽケチルデアラウガソノ散タ後ニサ」と訳し、「ちるらん小野の」は、「サダメテ此ゴロハ萩ノ花カチルデアラウガ其野ノ」、とやうに訳すべし。然れども、俗語にはさはいはざれば。中々にうとし。同じことながら、「春霞たちかくすらん山の桜を」などは、「山ノ桜ハ霞ガカクシテアルデアラウニ」、と訳してよろしく、又かの「見ん人は見よ」なども、「見ヤウト思フ人ハ」とうつせば、俗語にもかなへり。歌のさまによりては、かうやうにもうつすべし。

○ 「らん」の訳は、くさぐさあり。「春立けふの風やとくらん」などは、「風ガトカスデアラウカ」と訳す。「アラウ」「らん」にあたり、「カ」上の「や」にあたれり。「いつの人まにうつろひぬらん」などは、「イツノヒマニ散テシマウタコトヤラ」と訳す。「ヤラ」「らん」にあたれり。「人にしられぬ花やさくらん」などは、「人ニシラサヌ花ガ咲タカシラヌ」と訳す。「カシラヌ」「や」と「らん」とにあたれり。又上に「や」「何」などといふ、うたがひことばなくて、「らん」と結びたるには、「ドウイフコトデ」といふ詞をそへてうつすも多し。又「相坂のゆふつけ鳥もわがごとく人や恋しき音のみ鳴らん」などは、「人ガ恋シイヤラ声ヲアゲテヒタスラナク」とうつす。これはとぢめの「らん」の疑ひを、上へうつして、「や」と合せて「ヤラ」といふ也。「ヤラ」はすなはち「やらん」といふこと也。又「玉かつら今はたゆとや吹風の音にも人のきこえざるらん」などのたぐひも、同じく上へうつして、「や」と合せて、「ヤラ」と訳して、下ノ句をば、「一向ニオトヅレモセヌ」と、落しつけてとぢむ。これらはらんとうたがへる事は、上にありて、下にはあらざればなり。

○ 「らし」は、「サウナ」と訳す。「サウナ」は、「さまなる」といふことなるを、音便に「サウ」といひ、「る」をはぶける也。然れば言の本の意も、「らし」とおなじおもむきにあたる辞なり。たとへば「物思ふらし」を、「物ヲ思フサウナ」と訳すが如き。「らし」も「サウナ」も共に、人の物思ふさまなるを見て、おしはかりたる言なれば也。さてついでにいはむは、世に「らん」と「らし」とをただ疑ひの重きと軽きとのたがひとのみ心得て、みづからの歌にも、そのこゝろもてよむなるはひがことなり。たとへば、「時雨ふるらん」は、「時雨ガフルデアラウ」也。「時雨ふるらし」は、「時雨ガフルサウナ」の意也。此俗言の「アラウ」と「サウナ」との意を思ひて、そのたがひあることをわきまふべし。

○ 「かな(哉)」は、さとびごとにも「カナ」といへど、語のつゞきざまは、雅言のままにては、うときが多ければ、つゞける詞をば、下上におきかへもし、あるは言をくはへなどもして、訳すべし。すべて此辞は、歎息(ナゲキ)の詞にて、心をふくめたることおほければ、訳(ウツシ)には、そのふくめたる意の詞をも、くはふべきわざなり。

○ 「つゝ」の訳は、くさぐさあり。又「雪はふりつゝ」など、いひすてゝとぢめて、上へかへらざるは、「テ」と訳して、下にふくめたる意の詞をくはふ。いひすてたる「つゝ」は、必ズ下にふくめたる意あれば也。そのふくめたる意は。一首(ヒトウタ)の趣にてしらる。

○ 「けり」「ける」「けれ」は、「ワイ」と訳す。「春は来にけり」を、「春ガキタワイ」といへるがごとし。また「こそ」の結びにも、「ワイ」をそへてうつすことあり。語のきれざるなからにある「ける」「けれ」は、ことに訳さず。

○ 「なり」「なる」「なれ」は、「ヂヤ」と訳す。「ヂヤ」は、「デアル」のつゞまりて。「ル」のはぶかりたる也。さる故に、東の国々にては、「ダ」といへり。「なり」ももと「にあり」のつゞまりたるなれば、俗言の「ヂヤ」「ダ」と、もと一つ言也。又一つ「春くれば雁かへるなり」、「人まつ虫の声すなり」、などの類の「なり」は、あなたなる事を、こなたより見聞ていふ詞なれば、これは、「アレ雁ガカヘルワ」、「アレ松虫ノ声ガスルワ」など訳すべし。此「なり」は「ヂヤ」と訳す「なり」とは別(コト)にて、語のつゞけざまもかはれり。「ヂヤ」とうつす方は、つゞく詞よりうけ、此「なり」は、切るゝ詞よりうくるさだまり也。

○ 「ぬ」「ぬる」、「つ」「つる」、「たり」「たる」、「き」「し」など、既に然るうへをいふ辞は、俗言には、皆おしなべて「タ」といふ。「なりぬ」「なりぬる」をば、「ナツタ」。「来つ」「来つる」をば、「キタ」。「見たり」「見たる」をば、「見タ」。「ありき」「ありし」をば、「アツタ」といふが如し。「タ」は、「タル」の「ル」をはぶける也。

○ 「あはれ」を、「アヽハレ」と訳せる所多し。たとへば、「あれにけりあはれいくよのやどなれや」を、「何ン年ニナル家ヂヤゾヤ。アヽハレキツウ荒タワイ」と訳せる類也。かくうつす故は、あはれはもと歎息(ナゲ)く声にて、すなはち今ノ世の人の歎息(ナゲキ)て、「アアヨイ月ヂヤ」、「アアツライコトヂヤ」、又「ハレ見事ナ花ヂヤ」、「ハレヨイ子ヂヤ」などいふ。この「アヽ」と「ハレ」とをつらねていふ辞なればなり。「あはれてふことをあまたにやらじとや云々」は、花を見る人の、「アヽハレ見事ナ」といふその詞をあまたの桜へやらじと也。「あはれてふことこそうたて世の中を云々」は、「アヽハレオイトシヤト、人ノ云テクレル詞コソ云々」也。大かたこれらにて心得べし。さてそれより転(ウツ)りては、何事にまれ、「アヽハレ」と歎息(ナゲ)かるゝ事の名ともなりて、「あはれなり」とも、「あはれをしるしらぬ」なども、さまざまひろくつかふ。そのたぐひの「あはれ」は、「アヽハレ」と思はるゝ事をさしていへるなれば、俗言には、たゞに「アヽハレ」とはいはず、そは又その思へるすぢにしたがひて、別(コト)に訳言(ウツシコトバ)あるなり。

○ すべて何事にまれ、あなたなることには、「アレ」、或は「アノヤウニ」、又「ソノヤウニ」などいひ、こなたなることには、「コレ」、或は「此ノヤウニ」などいふ詞を添て訳せることおほきは、其事のおもむきを、さだかにせんとてなり。

○ 物によせて、其詞をふしにしたる、又物の縁の詞のよしなど、すべて詞のうへによれる趣は、雅言と俗言とは、ことことなれば、たゞには訳しがたし。さる類は、俗語のうへにても、ことわり聞ゆべきさまに、言をくはへて訳せり。

○ 枕詞序などは、歌の意にあづかれることなきは、すてて訳さず。これを訳しては、事の入まじりて、中々にまぎらはしければなり。そも歌の趣にかゝれるすぢあるをば、その趣にしたがひて訳す。

○ 此ふみの書るよう。訳語(ウツシコトバ)のかぎりは、片仮字をもちふ、仮字づかひをも正さず。便(タヨ)りよきにまかせたり。訳(ウツシ)のかたはらに、をりをり平仮字して、ちひさく書ることあるは、其歌の中の詞なるを、こゝは此詞にあたれりといふことを、猶たしかにしめせる也。数のもじは、其句としめしたる也。又かたへに長くも短くも、筋を引たるは、歌にはなき詞なるを、そへていへる所のしるしなり。そもそもさしも多く詞をそへたるゆゑは、すべて歌は、五もじ、七もじ、みそひともじと、かぎりのあれば、今も昔も、思ふにはまかせず、いふべき詞の、心にのこれるもおほければ、そをさぐりえて、おぎなふべく、又さらにそへて、たすけもすべく、又うひまなびのともがらなどのために、そのおもむきを、たしかにもせむとて也。(一)(二)(三)。あるは(上)などしるせるは、枕詞序など、訳をはぶけるところをしめせる也。但しひさかたあしひきなど、人のよく枕詞と知りたるは、此しるしをはぶけり。一二三は、句のついで、上は上の句也。

○ うつし語(コトバ)のしりにつぎて、ひらがなして書ることあるは、訳の及びがたくて、たらはざるを、たすけていへること、又さらでも、いはまほしき事ども、いさゝかづゝいへるなり。

○ 大かたいにしへの歌を、今の世の俗語(サトビゴト)にうつすすぢにつきては、猶いはまほしきことども、いと多かれど、さのみはうるさければ、なずらへてもしりねと、みなもらして、今はたゞこれかれいさゝかいへるのみ也。又今さだめたる、すべての訳(ウツシ)どもの中には、なほよく考へなば、いますこしよくあたれることどもも、いでくべかめれど、いとまいりて、此事にのみは、えさしもかゝづらはで、たゞ一わたり、思ひよれるまにまに物しつる也。歌よく見しれらん人、なほまされるを思ひえたらむふしもあらば、くはへもはぶきも、あらためもしてよかし。

本居宣長


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