『玉くしげ』・『秘本玉くしげ』

◇『玉くしげ』・『秘本玉くしげ』
 この2つの本は、宣長(58歳)の時、天明7年(1787)12月に成り、別巻を添えて紀州藩主・徳川治貞に奉られた。別 巻(『玉くしげ』)が理念編であり、国学の中心思想が書かれている。「世の中に、死ぬ るほどかなしき事はなき」という有名な一節もこの中にある。秘本は実際編、つまり政治の具体策が書かれている。疲弊する藩経済をいかに建て直すか、百姓一揆の根本的な解決策はあるのか、また藩と町人の関係などが具体的に説かれている。松坂の町人社会の一員としての経験と、古典研究の成果 を生かし、良識ある国学者としての意見として、200余年の歳月を隔てた今でも傾聴に値する。また、生活者としての宣長を知る上でも欠かすことの出来ない著作である。
 底本には『本居宣長全集』を使用した。『秘本玉くしげ』には便宜上、番号を附した。

>>『玉 くしげ』


【本文】
『玉くしげ』

玉くしげの序

此書は。わが鈴ノ屋ノ大人の。ある國の君に。道の大かたを。いまの世のさとび言もて。たれしの人もかやすくさとり得つべきさまに書て。奉られたりし書なるを。下書の。名におふ匣の底にのこれるを。此里の廣海が乞出して。木にゑるにつきて。おのが一言をくはへてよとあるまゝに。書つけけらく。そもそもわがうしの。道びきのこゝだくのいさをは。いはまくもさらなれど。なほいさゝかいはむには。此まことの道はしも。外國ぶみの。うはべよきまがこと共に。かきくらされて。かの須佐之男命の。勝さびの御あらびに。天照大御神。ゆゝしくも天の石屋にさしこもらして。世ノ中は常夜ゆきけむ事のごとく。光見る人もなくて八百年千年を經にけるに。思兼神の御靈やそはりけむ。此大人の深くおもひ遠く思ひて。うまらにおもひ得られたる。此まことの意よ。長鳴鳥のこゑ高くとほく。天の下に聞えわたりて。世ノ人皆の秋の長夜のいめさめて。朝目よく仰ぎ見む。朝日のひかりは。まぐはしきかもうらぐはしきかも。明らけきかもたふときかも。時は寛けき政と改まりて。天ノ下よろこび榮ゆるはじめの年の春のなかば。かくいふは
                       尾張の殿人 横 井 千 秋


玉くしげ

此書は、ある御方に、道の大むね今の世の心得を書て奉れるなり、それに歌をもよみて書そへたる、中の詞を取りて、かくは名けつ、其歌は、
   身におはぬしづがしわざも玉くしげ
    あけてだに見よ中の心を
まことの道は、天地の間にわたりて、何れの國までも、同じくたゞ一すぢなり、然るに此道、ひとり皇國にのみ正しく傳はりて、外國にはみな、上古より既にその傳來を失へり、それ故に異國には、又別 にさまざまの道を説て、おのおの其道を正道のやうに申せども、異國の道は、皆末々の枝道にして、本のまことの正道にはあらず、たとひこゝかしこと似たる所は有リといへども、その末々の枝道の意をまじへとりては、まことの道にかなひがたし、いでその一すぢの本のまことの道の趣を、あらあら申さむには、まづ第一に、此世ノ中の惣體の道理を、よく心得おくべし、其ノ道理とは、此天地も諸神も萬物も、皆ことごとく其本は、高皇産靈神神皇産靈神と申す二神の、産靈のみたまと申す物によりて、成出來たる物にして、世々に人類の生れ出、萬物萬事の成出るも、みな此御靈にあらずといふことなし、されば神代のはじめに、伊邪那岐伊邪那美二柱大御神の、國土萬物もろもろの神たちを生成し給へるも、其本は皆、かの二神の産靈の御靈によれるものなり、抑此産靈の神靈と申すは、奇々妙々なる神の御しわざなれば、いかなる道理によりて然るぞなどいふことは、さらに人の智慧を以て、測識べきところにあらず、然るを外國には、正道の傳へなき故に、此神の産靈の御しわざをえしらずして、天地萬物の道理をも、或は陰陽八卦五行などいふ理窟を立て、これを説明さむとすれども、これらは皆、人智のおしはかりの妄説にして、誠には左様の道理はあることなし、さて伊邪那岐大御神、女神のかくれさせ給ひしを、深くかなしませ給ひて、豫美國まで慕行せたまひしが、此顯國にかへらせたまひて、その豫美國の穢惡に觸給へるを、清めたまふとして、筑紫の橘小門の檍原に御禊し給ひて、清浄にならせ給へるところより、天照大御神生出ましまして、御父大御神の御事依しによりて、永く高天原を所知看すなり、天照大御神と申し奉るは、ありがたくも即チ今此ノ世を照しまします、天津日の御事ぞかし、さて此ノ天照大御神の、皇孫尊に、葦原中國を所知看せとありて、天上より此土に降し奉りたまふ、其時に、大御神の勅命に、寶祚之隆當與天壤無窮者矣とありし、此ノ勅命はこれ、道の根元大本なり、かくて大かた世ノ中のよろづの道理、人の道は、神代の段々のおもむきに、ことごとく備はりて、これにもれたる事なし、さればまことの道に志あらん人は、神代の次第をよくよく工夫して、何事もその跡を尋ねて、物の道理をば知べきなり、その段々の趣は、皆これ神代の古傳説なるぞかし、古傳説とは、誰言出たることともなく、たゞいと上代より、語り傳へたる物にして、即チ古事記日本紀に記されたる所を申すなり、さて此二典に記されたる趣は、いと明らかにして、疑ひもなき事なるを、後世に神典を説者、あるひは神秘口授などいふことを造り出して、あらぬ 僞を説きヘヘ、或は異國風の理窟にのみ泥みて、神代の妙趣を信ずる事あたはず、世ノ中の道理は、みな神代の趣に備はれる事をもえさとらず、すべて吾古傳説の旨をば、立ることあたはずして、かの異國の説のおもむきにすがりて取さばかむとするから、その異國のいふところに合はざる事をば、みな私の料簡を以て、みだりに己が好むかたに説曲て、或は高天原とは、帝都をいふなどと解なして、天上の事にあらずとし、天照大御神をも、たゞ本朝の大祖にして、此土にましましし神人の如くに説なして、天津日にはあらざるやうに申す類、みなこれ異國風の理窟にへつらひて、強てその趣に合はさんとする私事にして、古傳説を、ことさらに狹く小くなして、その旨ひろくゆきわたらず、大本の意を失ひ、大に神典の趣に背けるものなり、抑天地は一枚にして、隔なければ、高天原は、萬國一同に戴くところの高天ノ原にして、天照大御神は、その天をしろしめす御神にてましませば、宇宙のあひだにならぶものなく、とこしなへに天地の限をあまねく照しましまして、四海萬國此ノ御徳光を蒙らずといふことなく、何れの國とても、此ノ大御神の御陰にもれては、一日片時も立ことあたはず、世ノ中に至て尊くありがたきは、此ノ大御神なり、然るを外國には皆、神代の古傳説を失へるが故に、これを尊敬し奉るべきことをばしらずして、たゞ人智のおしはかりの考を以つて、みだりに日月は陰陽の精などと定めおきて、外にあるひは唐戎國にては、天帝といふ物を立て、上なく尊き物とし、其餘の國々にても、道々に主として尊奉する物あれども、それらは或はおしはかりの理を以ていひ、或は妄に説を作りていへる物にして、いづれも皆、人の假に其ノ名をまうけたるのみにこそあれ、實には天帝も天道も何も、あるものにはあらず、そもそも外國には、かやうに實もなき物をのみ尊みて、天照大御神の御陰の、よに尊く有がたき御事をば、しらずしてあるは、いとあさましき事なるに、皇國は格別 の子細あるが故に、神代の正しき古説の、つまびらかに傳はりて、此ノ大御神の御由來をもうかゞひ知て、これを尊み奉るべき道理をしれるは、いといと難有き御事にぞ侍る、さて皇國は格別 の子細ありと申すは、まづ此四海萬國を照させたまふ天照大御神の、御出生ましましし御本國なるが故に、萬國の元本大宗たる御國にして、萬ヅの事異國にすぐれてめでたき、其ノ一々の品どもは、申しつくしがたき中に、まづ第一に穀は、人の命をつゞけたもちて、此上もなく大切なる物なるが、其ノ稻穀の萬國にすぐれて、比類なきを以て、其餘の事どもをも准へしるべし、然るに此國に生れたる人は、もとよりなれ來りて、常のことなる故に、心のつかざるにこそあれ、幸に此御國人と生れて、かばかりすぐれてめでたき稻を、朝夕に飽まで食するにつけても、まづ皇神たちのありがたき御恩ョをおもひ奉るべきことなるに、そのわきまへだになくて過すは、いともいとも物體なきことなり、さて又本朝の皇統は、すなはち此ノ世を照しまします、天照大御神の御末にましまして、かの天壤無窮の神勅の如く、萬々歳の末の代までも、動かせたまふことなく、天地のあらんかぎり傳はらせ給ふ御事、まづ道の大本なる此ノ一事、かくのごとく、かの神勅のしるし有リて、現に違はせ給はざるを以て、神代の古傳説の、虚僞ならざることをも知ルべく、異國の及ぶところにあらざることをもしるべく、格別 の子細と申すことをも知ルべきなり、異國には、さばかりかしこげに其ノ道々を説て、おのおの我ひとり尊き國のやうに申せども、其ノ根本なる王統つゞかず、しばしばかはりて、甚みだりなるを以て、萬事いふところみな虚妄にして、實ならざることをおしはかるべきなり、さてかくのごとく本朝は、天照大御神の御本國、その皇統のしろしめす御國にして、萬國の元本大宗たる御國なれば、萬國共に、この御國を尊み戴き臣服して、四海の内みな、此まことの道に依り遵はではかなはぬ ことわりなるに、今に至るまで外國には、すべて上件の子細どもをしることなく、たゞなほざりに海外の一小嶋とのみ心得、勿論まことの道の此ノ皇國にあることをば夢にもしらで、妄説をのみいひ居るは、又いとあさましき事、これひとへに神代の古傳説なきがゆゑなり、さて外國には、古傳説なければ、此ノ子細どもをせらざるも、せんかたなきを、本朝には、明白に正しき傳説の有リながら、世の人これを知ることあたはず、たゞかの異國の妄説をのみ信じ、其ノ説に泥み溺れて、返てよしなき西戎の國を尊み仰ぐは、いよいよあさましき事ならずや、たとひまさりたりとも、よしなき他國の説を用ひんよりは、己が本國の傳説にしたがひよらんこそ、順道なるべきに、まして異國の説はみな虚妄にして、本朝の傳へは實なるをや、然れども異國風のなまさかしき見識の、千有餘年心の底に染著て、其他を思はざる世の人なれば、今かやうに申しても、誰も早速にはえ信ずまじき事なれども、惣じて異國風のこざかしき料簡は、よくおもへば、返て愚なることぞ、今一段高き所を考へて、まことの理は、思慮の及びがたきことにして、人の思ひ測るところとは、大に相違せる事のあるものぞといふことを、よくさとるべきなり、又かの異國人の思へるごとく、本朝の人も、此ノ御國をば、たゞ小國のやうにのみ心得居るに付ては、天地の間にゆきわたりたるまことの道の、かゝる小國にのみ傳はらんことはいかゞと、疑ふ人も有ルべきなれども、これ又なまさかしき一往の料簡にして、深く考へざるものなり、惣じて物の尊卑は、その形の大小によるものにあらざれば、國も、いかほど廣くても、卑く惡き國あり、狹くても尊く美しき國あり、其ノ内に、むかしより外國共のやうを考ふるに、廣き國は、大抵人民も多くて強く、狹き國は、人民すくなくて弱ければ、勢におされて、狹き國は、廣き國に従ひつくから、おのづから廣きは尊く、狹きは卑きやうなれども、實の尊卑美惡は、廣狹にはよらざることなり、そのうへすべて外國は、土地は廣大にても、いづれも其ノ廣大なるに應じては、田地人民はなはだ稀少なり、唐土などは、諸戎の中にては、よき國と聞えたれども、それすら皇國にくらぶれば、なほ田地人民は、はなはだ少くまばらにして、たゞいたづらに土地の廣きのみなり、これは彼ノ國の書どもに、代々の惣口數戸數を擧たると、本朝の戸數口數とをくらべ見て、よくしらるゝことなり、又今現在に本朝の國々にて、同じ一國の内にても、土地は廣くて、人民物成のすくなき所あり、狹くて人民物成リは多き所もあるを以て、惣體土地の廣狹にはかゝはるべからざることをさとるべし、古ヘ大國上國中國下國、大郡上郡中郡下郡小郡と分定められしも、必ズしも土地の大小にはかゝはらざりし事ぞかし、然るにむかしより世の人、此わきまへなくして、たゞ土地の廣狹を以て、其國の大小を定むるは、あたらざることなり、皇國は古ヘよりして、田地人民の甚ダ多く稠密なること、さらに異國には類なければ、此ノ人數物成リを以て量 るときは、甚だ大國にして、殊に豐饒殷富勇武強盛なること、何れの國かはよく及ぶ者あらん、これ又格別 の子細にして、何事も神代より皇神たちの、かくのごとく尊卑勝劣をたておかせ給へるものなり、然るに近世儒者など、ひたすら唐土をほめ尊みて、何事もみな彼ノ國をのみ勝れたるやうにいひなし、物體なくも皇國をば看下すを、見識の高きにして、ことさらに漫に賤しめ貶さんとして、或は本朝は古ヘに道なしといひ、惣じて文華の開けたることも、唐土よりはるかに遲しといひ、或は本朝の古書は、古事記日本紀といへども、唐土の古書にくらぶれば、遙に後世の作なりといひて、古傳説を破り、或は日本紀の文を見て、上古の事はみな、後の造りことぞといひおとすたぐひ、これらは皆例のなまさかしき、うはべの一わたりの論にして、精く思はざるものなり、そのうへ唐土の書にのみ泥み惑ひて、他あることをしらざるものなれば、返て見識もいと小く卑きことならずや、又かやうに他國を内にして、吾ガ本國を外にするは、己がよる所の孔子の意にも、いたく背けるものなり、すべて右の論どもの、當らざることをいはば、まづ皇國の古ヘは道なしといふは、此方にまことの勝れたる道のあることをしらずして、たゞ唐戎の道をのみ道と心得たるひがことなり、かの唐戎の道などは、末々の枝道なれば、ともあれかくもあれ、それにかゝはるべきことにあらず、又文華早く開けたりとて、唐土を勝れたりと思ふも、ひがことなり、早く文華の開けたるやうなるは、萬ヅの事の早く變化したるにて、これ彼ノ國の風俗の飽く惡く輕薄なるが故なり、いかにといふに、かの唐戎は、上古より人心なまさかしくして、物事舊きによることを尚ばず、ひたもの己が思慮工夫を以て、改め變るをよき事にせる國俗なる故に、おのづから世ノ中の模様は、世々に速に移りかはりしなり、然るに皇國は、正直重厚なる風儀にて、何事もたゞ古き跡により守りて、輕々しく私智を以て改むる事はせざりし故に、世ノ中の模様のよゝにうつり變ることも、おのづから速にはあらざりしなり、此ノ重厚の風儀は、今もなほ遺れることぞかし、猶此變化の遲速の勝劣をいはば、牛馬鷄犬などのたぐひは、生れてより成長すること甚速なるを、人はこれらに比ぶれば、成長する事甚遲し、これらを以て准へ見るに、勝れる物、變化すること遲き道理も有ルべし、又かの成長することの速なる鳥獣などは、命短く、人は遲くて、命長きを以テ見れば、世ノ中の模様の、うつりかはれること早き處は、其國の命短く、うつりかはることの遲き國は、存すること永久なるべし、そのしるしは、數千萬歳を經て後に見ゆべきなり、又古書の事を、その撰出の時代を以て論ずるも、うはべのことなり、其故は、右に申せる如く、唐戎はなまさかしく、私智をふるふ國俗にて、其ノ古書も、おのおの作者の己が心より書出せる故に、その時代に應じて、古き近きの勝劣あることなるが、皇國の古ヘは、重厚なる風儀にて、すべての事に、己がさかしらを用ひず、かろがろしく舊きを改むることなどはせざりしかば、古傳の説も、たゞ神代より語り傳へのまゝにて、傳はり來りしを、其ノ古傳説のまゝに記されたる、古事記日本紀なれば、かの輕薄なる唐戎のあらはせる書どもと同じなみに、時代を以て論ずべきにあらず、撰録の時代こそ後なれ、其ノ傳説の趣は、神代のまゝなれば、唐國の古書どもよりは、返てはるかに古き事なるをや、但し日本紀は、唐土の書籍の體をうらやみて、漢文を餝られたる書なれば、その文によりて解するときは、疑はしき事おほかるべし、されば日本紀を見るには、文にはかゝはらず、古事記とくらべ見て、その古傳の趣をしるべきなり、大かた右の子細どもをよくわきまへて、すべて儒者どものなまさかしき論には、惑はさるまじきことになん、さて世ノ中にあらゆる、大小もろもろの事は、天地の間におのづからあることも、人の身のうへのことも、なすわざも、皆ことごとく神の御靈によりて、神の御はからへなるが、惣じて神には、尊卑善惡邪正さまざまある故に、世ノ中の事も、吉事善事のみにはあらず、惡事凶事もまじりて、國の亂などもをりをりは起り、世のため人のためにあしき事なども行はれ、又人の禍福などの、正しく道理にあたらざることも多き、これらはみな惡き神の所爲なり、惡神と申すは、かの伊邪那岐大御神の御禊の時、豫美國の穢より成出たまへる、禍津日神と申す神の御靈によりて、諸の邪なる事惡き事を行ふ神たちにして、さやうの神の盛に荒び給ふ時には、皇神たちの御守護り御力にも及ばせ給はぬ 事もあるは、これ神代よりの趣なり、さて正しき事善事のみはあらずして、かやうに邪なる事惡き事も必ズまじるは、これ又然るべき根本の道理あり、これらの趣も皆、神代より定まりて、其ノ事古事記日本紀に見えたり、その委き子細どもは、古事記ノ傳に申し侍り、事長ければ、こゝにはつくしがたし、さて豫美國の穢れといふに付て、一ッ二ッ申すべきことあり、まづ豫美と申すは、地下の根底に在リて、根國底國とも申して、甚ダきたなく惡き國にて、死せる人の罷往ところなり、其ノ始メ伊邪那美尊かくれさせ給ひて、此豫美國に往せたまひしが、黄泉戸喫とて、其國の炊爨の物を食し給ひし穢によりて、永く此顯國にかへらせたまふことかなはず、此穢によりて、つひに凶惡の~となり給ひて、その穢より、かの禍津日神は成出給へれば、此道理をよく思ひて、世に大切に忌慎むべきは、物の穢なり、さて世の人は、貴きも賤しきも善も惡きも、みな悉く、死すれば、必ズかの豫美國にゆかざることを得ず、いと悲しき事にてぞ侍る、かやうに申せば、たゞいと淺はかにして、何の道理もなきことのやうには聞ゆれども、これぞ神代のまことの傳説にして、妙理の然らしむるところなれば、なまじひの凡智を以て、とやかくやと思議すべき事にあらず、然るを異國には、さまざまの道を作りて、人の生死の道理をも、甚ダおもしろくかしこげに説ことなれども、それは或は人智のおしはかりの理窟を以ていひ、或は世の人の尤と信ずべきやうに、都合よく造りたる物にして、いづれも面 白くは聞ゆれども、皆虚妄にして、實にあらず、惣じて人のかしこく造りたる説は、尤なるやうに聞え、まことの傳へは、返て淺々しく、おろかなることのやうに聞ゆる物なれども、人の智慧は限ありて、得測りしらゆところ多ければ、すべてその淺はかに愚に聞ゆる事に、返て限なく深き妙理はあることなるを、及ばぬ 凡智を以てこれを疑ひ、かの造りことの、尤らしく聞ゆる方を信ずるは、己が心を信ずるといふものにて、返ていと愚なることなり、さて死すれば、妻子眷屬朋友家財萬事をもふりすて、馴たる此世を永く別 れ去て、ふたゝび還來ることあたはず、かならずかの穢き豫美國に往ことなれば、世の中に、死ぬ るほどかなしき事はなきものなるに、かの異國の道々には、或はこれを深く哀むまじき道理を説き、或は此ノ世にてのしわざの善惡、心法のとりさばきによりて、死して後になりゆく様をも、いろいろと廣く委く説たる故に、世ノ人みなこれらに惑ひて、其説共を尤なる事に思ひ、信仰して、死を深く哀むをば、愚なる心の迷ひのやうに心得るから、これを愧て、強て迷はぬ ふり、悲まぬ體を見せ、或は辭世などいひて、ことごとしく悟りきはめたるさまの詞を遺しなどするは、皆これ大きなる僞のつくり言にして、人情に背き、まことの道理にかなはぬ ことなり、すべて喜ぶべき事をも、さのみ喜ばず、哀むべきことをも、さのみ哀まず、驚くべき事にも驚かず、とかく物に動ぜぬ を、よき事にして尚ぶは、みな異國風の虚僞にして、人の實情にはあらず、いとうるさきことなり、中にも死は、殊に哀しからではかなはむ事にして、國土萬物を成立、世ノ中の道を始めたまひし、伊邪那岐大御神すら、かの女神のかくれさせ給ひし時は、ひたすら小兒のごとくに、泣悲みこがれ給ひて、かの豫美國まで、慕ひゆかせたまひしにあらずや、これぞ眞實の性情にして、世ノ人も、かならず左様になくてはかなはぬ 道理なり、それ故に、上古いまだ異國の説の雜らざりし以前、人の心直かりし時には、死して後になりゆくべき理窟などを、とやかくやと工夫するやうの、無uのこざかしき料簡はなくして、たゞ死ぬ れば豫美國にゆくことと、道理のまゝに心得居て、泣悲むよりほかはなかりしぞかし、抑これらは、國政などには要なき申し事なれども、皇神の道と異國の道との、眞僞の心得にはなり侍るべき事なり、さてかの世ノ中にあしき事よこさまなる事もあるは、みな惡き神の所爲なりといふことを、外國にはえしらずして、人の禍福などの、道理にあたらぬ 事あるをも、或はみな因果報應と説きなし、あるひはこれを天命天道といひてすますなり、しかれども因果 報應の説は、上に申せるごとく、都合よきやうに作りたる物なれば、論ずるに及ばず、また天命天道といふは、唐土の上古に、かの湯武などの類なる者の、君を滅して其ノ國を奪取る、大逆の罪のいひのがれと、道理のすまざる事を、強てすましおかんためとの、託言なりと知べし、もし實に天の命天の道ならば、何事もみな、かならず正しく道理のまゝにこそ有ルべきに、道理にあたらざる事おほきは、いかにぞや、畢竟これらもみな、神代のまことの古傳説なきが故に、さまざまとよきやうに造りまうけたる物なり、さて右のごとく、善神惡神、こもごも事を行ひ給ふ故に、世々を經るあひだには、善惡邪正さまざまの事ども有リて、或は天照大御神の皇統にまします朝廷をしも、ないがしろにし奉りて、姦曲をほしいまゝにし、武威をふるへる、北條足利のごとき逆臣もいでき、さやうの者にも、天下の人のなびきしたがひ、朝廷大に衰へさせたまひて、世ノ中の亂れし時などもなきにあらざれども、然れども惡はつひに善に勝ことあたはざる、神代の道理、又かの神勅の大本動くべからざるが故に、さやうの逆臣の家は、つひにみな滅び亡て、跡なくなりて、天下は又しも、めでたく治平の御代に立かへり、朝廷は嚴然として、動かせたまふことなし、これ豈人力のよくすべきところならんや、又外國のよく及ぶところならんや、さて右のごとく、中ごろ朝廷の大に衰へさせ給へること有リしは、天下の亂れて、萬ヅの事もおとろへ廢れしなり、此道理をよく思はずはあるべからず、そもそもかの足利家の末つかたの世は、前代未曾有の有リさまにて、天下は常闇に異ならず、萬ヅの事、此時に至て、ことごとく衰敗して、まことに壞亂の至極なりき、然るところに、織田豐臣の二將出たまひて、亂逆をしづめ、朝廷を以直し奉り、尊敬し奉り給ひて、世ノ中やうやく治平におもむきしが、其後つひに又、今のごとくに天下よく治まりて、古ヘにもたぐひまれなるまで、めでたき御代に立かへり、榮ゆることは、ひとへにこれ、東照神御祖命の御勲功御盛コによれる物にして、その御勲功御盛コと申すは、まづ第一に、朝廷のいたく衰へさせ給へるを、かの二將の跡によりて、猶次第に再興し奉らせ給ひ、いよいよますます御崇敬厚くして、つぎつぎに諸士萬民を撫治めさせたまへる、これなり、此御盛業、自然とまことの道にかなはせ給ひ、天照大御神の大御心にかなはせたまひて、天神地祇も、御加護厚きが故に、かくのごとく御代はめでたく治まれるなり、かやうに申シ奉るは、たゞ時世にへつらひて、假令に申シ奉るにはあらず、現に御武運隆盛にして、天下久しく太平なることは、申すに及ばず、又前代にはいまだ嘗てあらざりし、めでたき事どもも、數々此ノ御代より起れるなど、彼此を以て、その然ることをしればなり、惣じて武將の御政は、かの北條足利などの如くに、大本の朝廷を重んじ奉ることの闕ては、たとひいかほどに仁コを施し、諸士をよくなつけ、萬民をよく撫給ひても、みなこれ私のための治術にして、道にかなはず、これ本朝は、異國とは、その根本の大に異なるところなり、その子細は、外國は、永く定まれるまことの君なければ、たゞ時々に、世ノ人をよくなびかせしたがへたる者、誰ひても王となる國俗なる故に、その道と立るところの趣も、その國俗によりて立たる物にて、君を殺して國を簒へる賊をさへ、道にかなへる聖人と仰ぐなり、然るに皇國の朝廷は、天地の限リをとこしなへに照しまします、天照大御神の御皇統にして、すなはちその大御神の神勅によりて、定まらせたまへるところなれば、萬々代の末の世といへども、日月の天にましますかぎり、天地のかはらざるかぎりは、いづくまでもこれを大君主と戴き奉りて、畏み敬ひ奉らでは、天照大御神の大御心にかなひがたく、この大御神の大御心に背き奉りては、一日片時も立ことあたはざればなり、然るに中ごろ、此ノ道にそむきて、朝廷を輕しめ奉りし者も、しばらくは子孫まで榮えおごりしこともありしは、たゞかの禍津日神の禍事にこそ有リけれ、いかでか是レを正しき規範とはすべき、然るを世ノ人は、此大本の道理、まことの道の旨をしらずして、儒者など小智をふるひて、みだりに世々の得失を議し、すべてたゞ異國の惡風俗の道の趣を規矩として、或はかの逆臣たりし北條が政などをしも、正道なるやうに論ずるなどは、みな根本の所たがひたれば、いかほど正論の如く聞えても、畢竟まことの道にはかなはざることなり、下々の者は、たとひ此大本を取違へても、其身一分ぎりの失なるを、かりにも一國一郡をも領じたまふ君、又その國政を執ん人などは、道の大本をよく心得居給はではかなはぬ ことなり、されば末々の細事のためにこそ、唐土の書をも随分に學びて、便によりて其ノかたをもまじへ用ひ給はめ、道の大本の所に至ては、上件のおもむきを、常々よく執へ持て、これを失ひ給ふまじき御事なり、惣じて國の治まると亂るゝとは、下の上を敬ひ畏るゝと、然らざるとにあることにて、上たる人、其ノ上を厚く敬ひ畏れ給へば、下たる者も、又つぎつぎに其ノ上たる人を、厚く敬ひ畏れて、國はおのづからよく治まることなり、さて今の御代と申すは、まづ天照大御神の御はからひ、朝廷の御任によりて、東照神御祖命より御つぎつぎ、大將軍家の、天下の御政をば、敷行はせ給ふ御世にして、その御政を、又一國一郡と分て、御大名たち各これを預かり行ひたまふ御事なれば、其御領内御領内の民も、全く私の民にはあらず、國も私シの國にはあらず、天下の民は、みな當時これを、東照神御祖命御代々の大將軍家へ、天照大御神の預けさせ給へる御民なり、國も又天照大御神の預けさせたまへる御國なり、然ればかの、神御祖命の御定め、御代々の大將軍家の御掟は、すなはちこれ天照大御神の御定御掟なれば、殊に大切に思召シて、此ノ御定メ御掟テを、背か頽さじとよく守りたまひ、又其國々の政事は、天照大御神より、次第に預かりたまへる國政なれば、随分大切におぼしめして、はぐゝみ撫給ふべき事、御大名の肝要なれば、下々の事執行ふ人々にも、此旨をよく示しおき給ひて、心得違へなきやうに、常々御心を付らるべき御事なり、さて又上に申せるごとく、世ノ中のありさまは、萬事みな善惡の神の御所爲なれば、よくなるもあしくなるも、極意のところは、人力の及ぶことに非ず、神の御はからひのごとくにならでは、なりゆかぬ 物なれば、此根本のところをよく心得居給ひて、たとひ少々國のためにあしきこととても、有來りて改めがたからん事をば、俄にこれを除き改めんとはしたまふまじきなり、改めがたきを、強て急に直さんとすれば、神の御所爲に逆ひて、返て爲損ずる事もある物ぞかし、すべて世には、惡事凶事も、必ズまじらではえあらぬ 、神代の深き道理あることなれば、とにかくに、十分善事吉事ばかりの世ノ中になす事は、かなひがたきわざと知ルべし、然るを儒の道などは、隅から隅まで掃清めたるごとくに、世ノ中を善事ばかりになさんとするヘにて、とてもかなはぬ 強事なり、さればこそかの聖人といはれし人々の世とても、其國中に、絶て惡事凶事なきことは、あたはざりしにあらずや、又人の智慧は、いかほどかしこくても限ありて、測り識りがたきところは、測り識ことあたはざるものなれば、善しと思ひて爲ることも、實には惡く、惡しゝと思ひて禁ずる事も、實には然らず、或は今善き事も、ゆくゆくのためにあしく、今惡き事も、後のために善き道理などもあるを、人はえしらぬ ことも有リて、すべて人の料簡にはおよびがたき事おほければ、とにかくに世ノ中の事は、神の御はからひならでは、かなはぬ ものなり、然らば何事もたゞ、神の御はからひにうちまかせて、よくもあしくもなりゆくまゝに打捨おきて、人はすこしもこれをいろふまじきにや、と思ふ人もあらんか、これ又大なるひがことなり、人も、人の行ふべきかぎりをば、行ふが人の道にして、そのうへに、其事の成と成ざるとは、人の力に及ばざるところぞ、といふことを心得居て、強たる事をば行ふまじきなり、然るにその行ふべきたけをも行はずして、たゞなりゆくまゝに打捨おくは、人の道にそむけり、此ノ事は、神代に定まりたる旨あり、大國主命、此ノ天下を皇孫尊に避奉り、天神の勅命に歸順したてまつり給へるとき、天照大御神高皇産靈大神の仰せにて、御約束の事あり、その御約束に、今よりして、世ノ中の顯事は、皇孫尊これを所知看すべし、大國主命は、幽事を所知べしと有リて、これ萬世不易の御定めなり、幽事とは、天下の治亂吉凶、人の禍福など其外にも、すべて何者のすることと、あらはにはしれずして、冥に神のなしたまふ御所爲をいひ、顯事とは、世ノ人の行ふ事業にして、いはゆる人事なれば、皇孫尊の御上の顯事は、即チ天下を治めさせ給ふ御政なり、かくて此ノ御契約に、天下の政も何も、皆たゞ幽事に任すべしとは定め給はずして、顯事は、皇孫尊しろしめすべしと有ルからは、その顯事の御行ひなくてはかなはず、又皇孫尊の、天下を治めさせ給ふ、顯事の御政あるからは、今時これを分預かり給へる、一國一國の顯事の政も、又なくてはかなふべからず、これ人もその身分身分に、かならず行ふべきほどの事をば、行はでかなはぬ 道理の根本なり、さて世ノ中の事はみな、神の御はからひによることなれば、顯事とても、畢竟は幽事の外ならねども、なほ差別 あることにて、其差別は譬へば、神は人にて、幽事は、人のはたらくが如く、世ノ中の人は人形にて、顯事は、其人形の首手足など有リて、はたらくが如し、かくてその人形の色々とはたらくも、實は是レも人のつかふによることなれども、人形のはたらくところは、つかふ人とは別 にして、その首手足など有リて、それがよくはたらけばこそ、人形のしるしはあることなれ、首手足もなく、はたらくところなくては、何をか人形のしるしとはせん、此差別 をわきまへて、顯事のつとめも、なくてはかなはぬ事をさとるべし、さてかの大國主命と申すは、出雲の大社の御神にして、はじめに此天下を經營し給ひ、又八百萬神たちを帥て、右の御約束のごとく、世ノ中の幽事を掌り行ひ給ふ御神にましませば、天下上下の人の、恐れ敬ひ尊奉し奉らでかなはぬ 御神ぞかし、惣じて世ノ中の事は、神の御靈にあらではかなはぬ物なれば、明くれ其ノ御コをわすれず、天下國家のためにも、面 々の身のためにも、もろもろの神を祭るは、肝要のわざなり、善神を祭りて福を祈るは、もとよりのこと、又禍をまぬ かれんために、荒ぶる神をまつり和すも、古ヘの道なり、然るを人の吉凶禍福は、面 々の心の邪正、行ひの善惡によることなるを、神に祈るは愚なり、神何ぞこれをきかんとやうにいふは、儒者の常の論なれども、かやうに己が理窟をたのみたてて、神事をおろそかにするは、例のなまさかしき唐戎の見識にして、これ神には邪神も有リて、よこさまなる禍のある道理を知らざる故のひがことなり、さてかの顯事の國政の行ひかた、并に惣體の人の行ふべき事業は、いかやうなるが、まことの道にかなふべきぞといふに、まづ上古に、天皇の天下を治めさせ給ひし御行ひかたは、古語にも、神隨天下しろしめすと申して、たゞ天照大御神の大御心を大御心として、萬事、神代に定まれる跡のまゝに行はせ給ひ、其中に、御心にて定めがたき事もある時は、御卜を以て、神の御心を問うかゞひて行はせ給ひ、惣じて何事にも大かた、御自分の御かしこだての御料簡をば用ひたまはざりし、これまことのみちの、正しきところの御行ひかたなり、其時代には、臣下たちも下萬民も、一同に心直く正しかりしかば、皆天皇の御心を心として、たゞひたすらに朝廷を恐れつゝしみ、上の御掟のまゝに従ひ守りて、少しも面 々のかしこだての料簡をば立ざりし故に、上と下とよく和合して、天下はめでたく治まりしなり、然るに西戎の道をまじへ用ひらるゝ時代に至ては、おのづからその理窟だての風俗のうつりて、人々おのが私シのかしこだての料簡いでくるまゝに、下も上の御心を心とせぬ やうになりて、萬ヅ事むつかしく、次第に治めにくゝなりて、後にはつひに、かの西戎の惡風俗にも、さのみかはらぬ やうになれるなり、抑かやうに、西の方の外國より、さまざまの事さまざまの物の渡り入來て、それを取用ふるも、みな善惡の神の御はからひにて、これ又さやうになり來るべき道理のあることなり、その子細を申さんには事長ければ、こゝにはつくしがたし、さて時代のおしうつるにしたがひて、右のごとく世ノ中の有リさまも人の心もかはりゆくは、自然の勢なりといふは、普通 の論なれども、これみな神の御所爲にして、實は自然の事にはあらず、さてさやうに、世ノ中のありさまのうつりゆくも、皆神のみ所爲なるからは、人力の及ばざるところなれば、其中によろしからぬ 事のあればとても、俄に改め直すことのなりがたきすぢも多し、然るを古ヘの道によるとして、上の政も下々の行ひも、強て上古のごとくに、これを立直さんとするときは、神の當時の御はからひに逆ひて、返て道の旨にかなひがたし、されば今の世の國政は、又今の世の模様に従ひて、今の上の御掟にそむかず、有リ來りたるまゝの形を頽さず、跡を守りて執行ひたまふが、即チまことの道の趣にして、とりも直さずこれ、かの上古の神隨治め給ひし旨にあたるなり、尤モ刑罸なども、ゆるさるゝたけは宥めゆるすが、天照大御神の御心にして、神代に其跡あり、然れどもまた臨時に、止事を得ざる事あるをりの行ひかたは、上古にも背く者あるときなどは、あまたの人を殺しても、征伐し給ひし如く、これ又神代の道の一端なれば、今とてもそれに准へて、何事によらず、其事其時の模様によりて、宜しき御はからひはあるべきことなり、次に下々の惣體の人の身の行ひかたは、まづすべて人と申す物は、かの産靈大神の産靈のみたまによりて、人のつとめおこなふべきほどの限は、もとより具足して生れたるものなれば、面 々のかならずつとめ行ふべきほどの事は、ヘヘをまたずして、よく務め行ふものなり、君によく仕奉り、父母を大切にし、先祖を祭り、妻子奴僕をあはれみ、人にもよくまじはりなどするたぐひ、又面 々の家業をつとむることなど、みな是レ人のかならずよくせではかなはぬわざなれば、いづれも有ルべきかぎりは、異國のヘヘなどをからざれども、もとより誰もよくわきまへしりて、よくつとめ行ふことなり、然れども其中には又、心あしく、右の行ひどもの闕たる者も、世には有リて、人のため世のために惡きわざを、はかり行ふ者などもあるは、これ又惡神の所爲にして、さやうの惡き者も、なきことあたはざるは、神代よりのことわりなり、人のみならず、萬ヅの物も、よき物ばかりはそろひがたくて、中にはあしきも必ズまじるものなるが、その甚ダ惡きをば、棄ることもあり、また直しもすることなれば、人もさやうの惡き者をば、ヘヘ直すも又道にして、これかの橘の小門の御禊の道理なり、然れども大かた神は、物事大やうに、ゆるさるゝ事は、大抵はゆるして、世ノ人のゆるやかに打とけて榮むを、よろこばせたまふことなれば、さのみ惡くもあらざる者までを、なほきびしくをしふべきことにはあらず、さやうに人の身のおこなひを、あまり瑣細にたゞして、窮屈にするは、皇神たちの御心にかなはぬ こと故、おほく其uはなくして、返て人の心褊狹しくこざかしくなりて、おほくは惡くのみなることなり、かやうのヘヘの瑣細なる唐戎の國などは、邪智深く姦惡なる者、殊に多くして、世々に國治まりがたきを以て、その驗を見るべし、然るに此道理をしらずして、惣體の人を、きびしくをしへたてて、悉にすぐれたる善人ばかりになさんとするは、かの唐戎風の強事にして、これ譬へば、一年の間を、いつも三四月ごろのごとく、和暖にのみあらせんとするがごとし、寒暑は人も何もいたむものなれども、冬夏の時候もあるによりてこそ、萬ヅの物は生育することなれ、世ノ中もそのごとくにて、吉事あれば、かならず凶事もあり、また惡事のあるによりて、善事は生ずる物なり、又晝あれば夜もあり、富る人あれば、貧しき人もなくてはかなはぬ 道理なり、それ故上古に道の正しくおこなはれし時代とても、此道理のごとくにて、惡き人も世々に有リて、それはその惡きしわざの輕重にしたがひて、上にもゆるしたまはず、人もゆるさざりしことなり、然れ共上古は、惡きはあしきにて、惣體の人は、心直く正しくして、たゞ上の御掟を恐れつゝしみ守りて、身分のほどほどに、おこなふべきほどのわざをおこなひて、世をば渡りしなり、しかれば今の世とても、おなじことにて、惡き事する者は、その輕重によりて、上よりもゆるしたまはず、世ノ人もゆるさねば、其餘は、いさゝかは道理にあはざる事などのあればとて、人をさのみ深くとがむべきにもあらず、今の世の人はたゞ、今の世の上の御掟を、よくつゝしみ守りて、己が私シのかしこだての、異なる行ひをなさず、今の世におこなふべきほどの事を行ふより外あるべからず、これぞすなはち、神代よりのまことの道のおもむきなりける、あなかしこ、本居宣長

寛政元年十一月
名兒屋 越智廣海藏板
發行書林
江戸日本橋壹丁目
須原屋茂兵衞
勢州松坂日野町
柏屋兵助
尾州名古屋玉屋町
永樂屋東四郎


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