◇ 200年前のお正月
1801年、宣長(72歳)は新春を和歌山で迎えた。松坂の留守宅では「鏡備えの覚え」により例年通り鏡餅が供えられ、1歳7ヶ月になる伊豆を囲んで賑やかな新春であろう。
○元日、晴天。朝、同行の大平が宣長に歌を添えて茶を進めた。 「元日の朝世のいはひごととて大平がわれに茶をすすむとて、君がため名におふ里のわか水をくむもうれしき千代のはつ春、とよめるにつきて我も又よめる、
くむもよし(いざくまん)今年をちよのはつ春と名もわか山の里のわか水」(『石上稿』)
○2日、晴天。松坂町奉行小林六左衛門が年始にやってきた。小西春村、春重宛、春庭宛、長井宛賀状をそれぞれ執筆。春庭宛では、雪は時々降るが伊勢に比べて随分暖かであること、内孫の伊豆が2,3尺ほど歩き始めたそうだが、早く帰って見たいものだと書き添える。
○3日、晴天。寒さ強し。御医師で御匙以外の者、登城年始礼。宣長も列席する。8時半頃登城。大広間でお流れを頂戴する。正午前、下城。午後、老中等へ挨拶回り。
○4日、晴天。夜から翌日明け方まで雪。諸方挨拶回り。大平によれば、二里近く歩き、さすがに先生も草臥れた様子である。大分、中津の門人渡辺重名が春庭書簡を携え来訪。いろいろと面白い話で気分もまぎれる。夜、『万葉集』講釈開始。
○5日、晴天。落合左平次。
○6日、紀国造来訪。夕方、名古屋の門人植松有信来訪。大平、春庭宛書簡を執筆し、宣長の近況などを伝える。
○7日、曇時々雨、午後晴天。大平、重名、有信、塩田養的親子等と、玉津嶋、東照宮、天満宮等参詣、和歌浦に遊ぶ。夜帰宅。
○8日、晴天。朝、渡辺重名出立する。上京後江戸に下向の予定。塩津浦蛭子社神主浜井右衛門来訪。
○9日、晴天、深夜風雨。落合春葉家年始会。出席、亭主、宣長、本間了全、井口敬秩、大平。兼題「若菜知時」、当座「初春」。夜、講釈(『万葉集』か)。野々山七左衛門出席。
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