時代

 宣長の生きた1730年から1801年は、天皇は114代中御門天皇、115代桜町天皇、116代桃園天皇、117代後桜町天皇、118代後桃園天皇、119代光格天皇将軍は8代吉宗、9代家重、10代家治、11代家斉である。と目まぐるしく変わられた。享保の改革から寛政の改革へ至る時期であり、中には田沼時代と呼ばれる時代があった。

 文化に目を転じると、18世紀は文化東漸期であり、地方へ拡散した時代であった。
 元禄以降、文化は漸次江戸にその中心が移っていき、約100年後の文化文政期、江戸に文化の花が開く。この時代、前半期は、地方出身者が京都や大坂で学び、江戸で職を得ると言うパターンができる。その一人が宣長の師の賀茂真淵であった。また、真淵門人でもある平賀源内もその一人だ。宝暦年間(1751〜64)以後の後半期となると、江戸に独自文化が形成される。京都も伝統文化の中心地というポジションを保持する。また、全国各地で、知的好奇心に目覚めた人たちが出てきた。これは、貨幣経済が農村部にまで浸透し、数々の矛盾が生じてきたこととも関係がある。彼らの中には、宣長の学問を積極的に受け入れ、支持する人たちも出てきた。


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(C) 本居宣長記念館


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