midashi_o.gif 中衛(チュウエ)

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 宣長の通称。寛政7年(1795)2月16日より使用。『日記』に「予改春庵称中衛」とある。実は、寛政5年に門人・横井千秋のために改名案として宣長から提示された内の一つ(この時にはやはり提示された中から「田守」が選ばれた)。「中衛」と言う官職名については宣長自身が寛政7年8月11日付長瀬真幸宛書簡に

「愚老俗称相改申候、中衛(チウエ)ハ古ヘノ官名ニ而、後ニ改リ申候、古ヘハ近衛中衛ト相並候を、近衛ヲ左近衛ト改メ、中衛ヲ右近衛ト改ラレ候也、万葉ニモ中衛閣下ト御座候」
と説明する。「中衛府」は神亀5年(728)8月に置かれた専ら禁中警護を掌る令外官。天平神護元年(765)授刀衛が近衛府となり天皇の親衛を相対するまでは特権的地位にあった。大同2年(807)、近衛府を左近衛府、中衛府は右近衛府と改称され名称は消滅した。


>>「横井千秋」
>>「名前」



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