本町。参宮街道沿い。門人・稲懸棟隆、また宣長の養子となった大平の家。魚町宣長宅から約4分。実はこの家、道沿いは豆腐屋だが、奥はなかなか風流な屋敷だった。明和8年(1771)8月15日に宣長が作った「八月十五夜稲掛棟隆家の月見の会にこゝちわづらひてえ物せでいひやれりける詞」(『鈴屋集』)によれば、坂内川の橋から2町(200m位)離れた、街道沿いにあるこの家の奥には、こぢんまりしてしっとりした庵がある。春は桜が楽しめるようにと桜の林を作り、また秋は月を眺めるためにと南向きに遣り水を流し、堺の所には草むらを作り、その中には萩、女郎花などを植え込むと言う念の入れようだ。主人は仕事の合間にはここで本を開き歌を詠む、と嘆賞している。
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(C) 本居宣長記念館
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