midashi_v.gif 宣長の豆腐評

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「稲掛大平が家の業のみかべの詞又其長歌」
(いながけのおおひらがいえのなりのみかべのことば またそのちょうか)
で宣長は豆腐について次のように書いています。
 
いなかけの大ひらの子が、遠つおやのよより、いへのなりと造りてうるものはも、  
〈大意〉稲懸大平の家が昔から生業としてきたのは

まめをひたしてほとばして、うすにすりて、しぼりてにて、おしてかためてなせる物、  
〈大意〉豆を水につけて柔らかくして臼ですって、絞って押し固めたもの。

あたひやすくていやしからず、あぢはひあはくてみやびたれば、月に日にけにいやめづらに、くさぐさにととのへて、高きみじかき人みなの、朝な夕なとめでくふ物なり、  
〈大意〉値段は安くて品下がるわけでもなく、味は淡泊で上品。季節を問わず、いろいろと調理の仕方を変えて、高貴な人から庶民までみんなが朝に夕に美味い美味いと好んで食べるもの。

ここに大平が父なる父なる棟隆い、としごろ思ひわたらくは、此物よ、みやび名の聞えこずて、よにあやしきから名をのみよびあへるこそ、いともふさはね、いかでよき名をあらせてしがと、ときときにいひも出つつ、うれふなりとききて、おのれはたうべなりと思ふに、  
〈大意〉大平の父棟隆は、ずっと考えてきたのだが、これの名前がよろしくない。それに漢語というのもどうもこの食べ物らしくもない。何かよい名前はない物かと思いついては口にして、ぼやいていると聞いて、私も棟隆の悩みももっともだと思って

いでやちかきよのならひ、物の名つくるに、花や雪やとなまめきたるすぢを、わざとえり出たるも、ことさらびて、中々におむかしからず、ただ何とはなしに、ふるめきたるこそ、みやびてはあれと、かにかくに思ひめぐらして、
〈大意〉いやもう最近では名前に、「花」やら「雪」と優美なものを考えるのだが、どうもわざとらしく、かえって不満が残る。もっと自然で古雅な名前はないものかといろいろ思案して、

かのしらにもてぬりたるものを、思ひよせたる、をみな言葉を、いにしへざまにいひなして、みかべとよばば、いかにあらむと、大平にしかたらへば、それいとよけむと、手うちてめでほどばしる時に、我もともどもうちあげうたへる、そのうたは、
〈大意〉白く塗ったものを表す、女性の言葉でしかも古風なものなら、「みかべ」と呼んだらいかがかと大平に話したところ、「そりゃあいい」と手を打ち喜ぶので、私も一緒に歌を詠んだ、その歌は、

たふときや、大げつひめの、神の大御身よ、あやしくも、なり出しまめの、そのまめの、とけてこごりて、山川の、いはもとどろに、おちたぎつ、たぎのみなわの、たへの穂に、なれる御かべは、ときじくに、七重花さく、八重花さく
〈大意〉ありがたいことだ、オオゲツヒメはスサノヲノミコトに殺されたのに、不思議や不思議、お豆をお産み下さった。そのお豆を溶かして固めて、水で栲の穂のように真っ白に出来たみかべは、いつまでも栄えてすばらしい花を咲かせることだ

全体と細部を自在に行き交う宣長のまなざしは、確かに学問とも共通している。
豆腐一丁を見る目は、『古事記』を見るの目と変わらず真剣なのだ。



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