○=参詣見物。◎=用事と見物。●=用事。◆=関連事項。
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寛保2年
(1742)
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13歳
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○7月14日 |
吉野水分神社、大峰山、高野山、長谷寺等に参詣。22日、帰宅。 |
延享2年
(1745)
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16歳
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○2月21日 |
京都見物に出立。初の上京。北野天満宮など参詣。3月3日、帰宅。 |
●4月 |
江戸下向。大伝馬町一丁目の叔父・小津躬充店に寄宿。商売見習いか。翌年3月迄滞在。 |
寛延元年
(1748)
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19歳
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○4月 |
近江、京、大坂見物。約一ヶ月間に及び、禁裏、有名寺社を隈無く廻り、芝居や朝鮮通信使の入洛と発足も見る。 |
●11月14日 |
山田妙見町今井田家の養子。寛延3年12月、離縁。 |
宝暦元年
(1751)
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22歳
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◎3月 |
義兄後始末のため江戸行。7月13日、富士登山。同20日、帰宅。 |
宝暦2年
(1752)
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23歳
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○1月 |
外祖母の御忌参詣に同道、知恩院参拝。 |
●3月5日 |
医学修行のため上京。宝暦7年10月まで滞在。 |
宝暦3年
(1753)
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24歳
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●3月6日 |
一時帰省。4月末、上京。 |
宝暦6年
(1756)
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27歳
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●4月19日 |
帰省。友人草深謙光宅に寄る。妹たみを見初めるか。5月10日、上京。 |
宝暦7年
(1757)
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28歳
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◎10月3日 |
京都出立、初瀬を経て6日、帰郷。 |
宝暦8年
(1758)
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29歳
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●5月27日 |
上京。6月9日、帰宅。 |
明和5年
(1768)
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39歳
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◆7月20日、与謝蕪村、日本を鳥瞰する句「稲づまや浪もてゆへる秋津しま」を作る。 |
明和8年
(1771)
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42歳
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◆春、おかげ参り。一説に200万人が参詣した。 |
安永元年
(1772)
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43歳
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○3月5日 |
吉野、飛鳥旅行出立。14日帰宅。稲懸棟隆、茂穂、戒言、小泉見卓、長谷川常雄同行。紀行『菅笠日記』。天明8年3月から4月に本書をガイドブックに飛鳥を歩いた上田秋成は、「安部の文殊にまうつ、こゝの窟の事、又、是より三つ山の事、初瀬、飛鳥わたり、吉野山しをりことごと、いにしへを引出て今のうつゝにかうかへ、或はたかへるをろうしなとしたるすか笠の記とか、伊勢人の書し物をさきに見しか、世につはらかにもるゝ事なくしるされたるには、野への新草つかみしかき筆して、なとやまなひ出ん、其人は御国のふりたる事ともをあなくりとめて、天のしたの物識りになんおはせりき。されはよ、旅ゆき人の日記てふ物には、いみしきまめふみなりけり」(『いははし』)。 |
安永6年
(1777)
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48歳
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○3月9日 |
伊勢前山花見。翌日帰宅。 |
安永9年
(1780)
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51歳
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○4月12日 |
参宮。春庭、春村同行。翌日帰宅。 |
◆この年、秋里籬島著・竹原春朝斎画『都名所図会』6巻11冊。本書の刊行は図会刊行の端緒となる。〈18世紀後半に出版された名所図会〉『都名所図会』(1780)・『拾遺都名所図会』(1787)・『大和名所図会』(1791)・『住吉名勝図会』(1794)・『和泉名所図会』(1796)、『摂津名所図会』(1796)・『伊勢参宮名所図会』(1797)、『東海道名所図会』(1797)・『都林泉名所図会』(1799)・『熊野遊記熊野名所図画』(1801)、『河内名所図会』(1801) |
天明2年
(1782)
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53歳
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○3月2日 |
伊勢前山花見。戒言、稲懸茂穂、三井高蔭、春庭等同行。荒木田久老等が迎える。翌日帰宅。 |
天明8年
(1788)
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59歳
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○3月23日 |
参宮。春庭、大平同行。25日、帰宅。 |
寛政元年
(1789)
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60歳
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◎3月19日 |
名古屋行き。春庭、大平同行。講釈と、横井千秋、鈴木真実らと対面。帰路、鈴鹿の山辺の御井、能煩野等探索。4月2日、帰宅。 |
寛政2年
(1790)
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61歳
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○9月6日 |
参宮。林崎文庫遷宮祝賀歌会参加。8日、帰宅。 |
○11月22日 |
上京。春庭等同行。天皇新内裏への行列拝見、『仰膽鹵簿長歌』を詠む。 |
寛政4年
(1792)
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63歳
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◎3月5日 |
名古屋行。人見と対面。同27日帰宅。春庭同行、明眼院で再治療、4月23日帰宅。名古屋出立の時、鈴木朖「送本居先生序」を書き、「先生ノ風ハ頗ル仲尼(孔子)ニ似タリ」と評す。 |
寛政5年
(1793)
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64歳
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◎3月10日 |
上京。大坂、名古屋を経て4月29日、帰宅。春庭同行。各所で講義。京都で妙法院宮(光格天皇実兄)に拝謁。芝山持豊卿に対面。道中詠草『結び捨てたる枕の草葉』 |
寛政6年
(1794)
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65歳
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◎3月29日 |
名古屋行き。同所で講釈をし4月26日帰宅。名古屋門人・鈴木朖も同道するか。 |
◎10月10日 |
和歌山に出立。大平同行。11月3日、和歌山城で御前講義。閏11月12日、吹上御殿で清信院へ御前講義。翌日、十人扶持に加増、御針医格。12月4日帰宅。道中詠草『紀見のめぐみ』。 |
寛政7年
(1795)
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66歳
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○4月9日 |
参宮。小篠敏、三井高蔭、山崎義知、森光保、村上円方同行。17日帰宅。 |
寛政8年
(1796)
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67歳
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●7月8日 |
桑名行。大平同行。10日、桑名「辰巳屋」で松平康定に拝謁。12日帰宅。 |
寛政11年
(1799)
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70歳
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◎1月21日 |
和歌山に出立。2月、稲懸大平(44歳)を養子とする。同25日、吉野水分神社参詣。同28日、帰宅。 |
○4月3日 |
参宮。9日。帰宅。 |
寛政12年
(1800)
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71歳
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◎9月17日 |
山室山に行き墓地の場所を定める。 |
◎11月20日 |
和歌山に行く。 |
享和元年
(1801)
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72歳
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◎1月3日 |
和歌山城内でお流れ頂戴。3月1日、帰宅。 |
◎3月中頃 |
山室山奥墓下見を兼ね花見。 |
◎3月28日 |
講釈のため上京。四条烏丸近くの旅宿にと滞在する。6月12日、帰宅。 |