midashi_o.gif 鈴屋(スズノヤ)

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 宣長の書斎の名前。

 53歳の時、二階に増築した四畳半の書斎。天明2年(1782)10月13日、普請に掛かり、12月上旬に竣工した。8段の階段を上ると襖1枚の引き戸があり室内となる。室内は明るい。左手(東北)に押入と床。右(南西)に1間幅の中窓を取り、また正面(東南)にも小窓を設けるがこちらは閉鎖され使用せず。小窓右に低い洞床を設け、棚を釣る。壁は真土で塗り、襖には淡彩の山水を描く。床には師の忌日には自書した「県居大人之霊位」、普段は堀景山書幅等を掛けた。床の口右脇に小さな板を埋め込む。床柱は銘木(一説に南天)を、右上には桜、また正面の壁には竹等を使用し、質素ながらも趣向を凝らした作りである。押入の中などには13箱の本箱が置かれた。窓から眼下に松、棕櫚竹、榊、箭竹を植えた坪の内が、遠くは松坂城のある四五百森を眺めることが出来る。

 書斎の名前は、この部屋に掛けられた柱掛鈴に因む。その披露の会で詠まれた長歌の左注に「鈴の屋とは、三十六の小鈴を赤き緒にぬきたれてはしらなどにかけおきて物むつかしきをりをり引なしてそれが音をきけばここちもすがすがしくおもほゆ、そのすずの歌は、とこのべに、わがかけていにしへしぬぶ、鈴がねのさやさや、かくて此屋の名にもおほせつかし」(『鈴屋集』巻5)とある。これ以後、宣長の屋号として家集の表題や、蔵書印、また帳簿の裏表紙などにも使用された。表記には万葉仮名書き、仮名書きもある。

帳簿
 
鈴屋内部

帳簿
 

鈴屋内部

階段

階段

《見学者のみなさまへ》

宣長さんの家のものがたり

ここは、国学者・本居宣長(1730-1801)の家です。
宣長は、12歳の時から72歳で亡くなるまで住んでいました。
宣長の昼間の仕事は医者です。薬箱を持って患者さんの所をまわります。
夕方帰ってきてから、町の人や、また全国から訪ねてくる人たちに『源氏物語』や『万葉集』など日本の古い本、
たまには中国の本も講釈していました。
夜も更けてみんなが帰ったあと、一人で『古事記』を解読し『古事記伝』を書きつづけました。

1階は上がることができます。
当時の部屋の静けさ、暗さを体感してください。
また、奥の八畳の間に静かに座って目を閉じてみてください。
この部屋は、来客との応接間ですが、宣長の勉強部屋、また大きくなってからは教室にもなりました。
受付でお渡ししたパンフレットに、
17歳の時に描いた「大日本天下四海画図」の写真が入っていますね。
幅が2メートルもある大きな地図を作成したのはきっとこの部屋でしょうね。
宣長は7人家族。奥さんと5人の子供がいました。
お母さんや子供たちはどこでお話をしたり、遊んだり、寝たりしていたのでしょうか。

53歳の時に宣長は二階を増築し、自分の勉強部屋を作りました。
窓の大きな明るい部屋です。
勉強に疲れたときにならす鈴を掛けたので、「鈴屋」という名前も付けました。
いまは、二階に上がっていただくことはできませんが、
家の向かい側、石垣の上から部屋の中をのぞくことができます。

この家は、1691年に建てられました。人間なら、もう324歳、超高齢者です。
百年ほど前に、松阪の人が町の誇りを火事などから守ろうと魚町からこの場所に移しました。
たたいたり、飛び跳ねたりせず、やさしくしてあげてください。

裏口の近くには、ごえもん風呂もあります。
そっと扉を開けて中をのぞいてください。
誰も入っていないと思いますが・・・


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>>「谷崎潤一郎の回想」



(C) 本居宣長記念館


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