midashi_v.gif 真福寺本『古事記』

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 宣長が校合に使用した『古事記』の中に、真福寺本(シンプクジボン)と言う本がある。『古事記』の中で現在一番古い写本だ。
 校合作業が終わったのは、天明7年(1787)4月14日。
 さて、真福寺本『古事記』への宣長の評価はいかが。 『古事記伝』版本・巻1に

「其後又、尾張国名児屋なる真福寺といふ寺【俗(ヨ)に大洲の観音といふ、】に、昔より伝へ蔵(ア)る本を写せるを見るに、こは余(ホカ)の本どもとは異(コト)なる、めづらしき事もをりをりあるを、字の脱(オチ)たる誤れるなどは、殊にしげくぞある、かゝればなほ今ノ世には、誤なき古(ヘノ)本は、在(アリ)がたきなりけり、されど右の本どもも、これかれ得失(ヨキアシキ)ことは互(タガヒ)に有(リ)て、見合ハ すれば、益(タスケ)となること多し」
 他の本と違う注目すべき点もあるが、字の脱落や誤写も多い。これを考えると、昔の本で誤りがないと言うことは求める方が無理なのだなあ、だけどいくつかの本を校合すると、誤っている箇所などを探したりする上で役に立つことが多い、と書かれている。

 でもよかったね。出版に間に合った。天明7年と言えば、『古事記伝』出版に向けて本格的に動き出した頃だ。巻1の諸本の所にこの本が出ていないと、後世の人は、「なんだ、真福寺本も見てないの」っていうからね。


真福寺本『古事記』

真福寺本『古事記』


>>「誰が真福寺本『古事記』を持ってきたのか?」



(C) 本居宣長記念館


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