midashi_g.gif 志賀島 (シカノシマ)

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 現在は、福岡県東区に属する博多湾の島。面積5.78km2。海岸線総延長は11km。東西2km、南北3.5km。海の中道と呼ばれる砂嘴の先端に位置する。
 『万葉集』にも巻16の「筑前国志賀の白水郎の歌十首」など島の海人を詠む歌が多い。

 今、その白水郎(アマ)の歌の左注を要約すると、

 神亀年間、太宰府が筑前国宗像の宗形部津麻呂に対馬まで食糧を送る船頭役に任じた。津麻呂は志賀村の白水郎荒雄の所に行き、ちょっと頼みたいことがあると言うと、荒雄は、君とは住むところも違うが、船乗りとして長く一緒に仕事をしてきた。心は兄弟より篤く、君のために死ぬことがあっても平気だよと答えた。津麻呂は言った、役所から対馬まで食糧を運べと言うが、私は年をとって無理だ。だから頼みに来たのだ。代わってくれないか。荒雄は承知し、肥前国松浦県(アガタ)の美禰良久(宣長訓・ミミラク)から船出して対馬に向かったところ、突然空が曇り暴風が吹き、雨が降り、天候回復しない内に沈没してしまった。荒雄の妻や子は子牛が母牛を慕うようにこの歌を詠んだのだ。また一説に山上憶良が悲しむ家族を見て同情し思いを述べてこの歌を作ったのだという。

 『万葉集』宣長手沢本からその中の一首を引いてみる。
歌は(3863) 

    荒雄らが ゆきにし日より 志賀の海人の 大浦田沼(タヌ)は 
    さぶしかるかも

頭注
「宣云志賀ハ上古ヨリ海士ノ名高キ処ナレバ海士ノ大浦ト云フベシ、サレバ荒雄ガ去シヨリ此志賀ノ浦ハサビシク思ハルト也、田沼ハソノ浦ニアル田沼也」

 「宣」は「宣長」のこと。宣長の解釈という印。
 歌の下にも宣長の注が付く。

「荒雄ガ行テカヘラネバ妻子ガワザニハ田ヲ作リカネ、水ヲマカザレカヌル心也」

海人は漁業の外、製塩や航海に携わっていた。この島で金印が発見された。

「志賀島風景」
「志賀島風景」
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「漢委奴国王金印発見之処碑」
「漢委奴国王金印発見之処碑」


>>「宣長の使った古典のテキスト」の『万葉集』
>>「3 志賀島の金印発見」



(C) 本居宣長記念館


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