宣長の一番大事な教えといってもよい。
先生の説の誤りに気づいたら直しなさい。先生の説に「なづむ」ことなく先に進みなさいと言う教え。「なづむ」とは、雪や雨、また草で先に進めないことから、後に、一つのことにかかずらう意味になった。もっと後には、惚れることという意味も出てきた。
簡単なようだが、先生の説を直すのは大変だ。何より、他の弟子たちの反発がある。だが、宣長は非常にスケールの大きな人だった。宣長の目には、自分を古典研究に導いてくれた「契沖」も、また「賀茂真淵」も恩人ではあるが、「過去の人」でもあった。
また、「過去の人」とするのが自分の務めだし、やがて自分も「過去の人」となっていかねばならない。だからお前たちがんばれと門人を励ますのだ。
学問の大きな流れの中では、契沖や真淵というビッグネームでも、所詮は個人、点に過ぎないと宣長は考えたようである。
「『玉勝間』抄」で、巻2「あらたにいひ出たる説はとみに人のうけひかぬ事」から「師の説になづまざる事」、「わがをしへ子にいましめおくやう」までぜひ読んでみてほしい。
ここではその中心となる、「師の説になづまざる事」、「わがをしへ子にいましめおくやう」を載せておく。宣長の学問に対する考え方、覚悟がよくわかる。
【資料】
「師の説になづまざる事」
おのれ古典(イニシヘブミ)をとくに、師の説とたがへること多く、師の説のわろき事あるをば、わきまへいふこともおほかるを、いとあるまじきことと思ふ人おほかンめれど、これすなはちわが師の心にて、つねにをしへられしは、後によき考への出來たらんには、かならずしも師の説にたがふとて、なはゞかりそとなむ、アヘられし、こはいとたふときをしへにて、わが師の、よにすぐれ給へる一つ也、大かた古ヘをかむかふる事、さらにひとり二人の力もて、ことごとくあきらめつくすべくもあらず、又よき人の説ならんからに、多くの中には、誤リもなどかなからむ、必わろきこともまじらではえあらず、そのおのが心には、今はいにしへのこゝろことごとく明らか也、これをおきては、あるべくもあらずと、思ひ定めたることも、おもひの外に、又人のことなるよきかむかへもいでくるわざ也、あまたの手を經(フ)るまにまに、さきざきの考ヘのうへを、なほよく考へきはむるからに、つぎつぎにくはしくなりもてゆくわざなれば、師の説なりとて、かならずなづみ守るべきにもあらず、よきあしきをいはず、ひたぶるにふるきをまもるは、學問の道には、いふかひなきわざ也、又おのが師などのわろきことをいひあらはすは、いともかしこくはあれど、それもいはざれば、世の學者その説にまどひて、長くよきをしるごなし、師の説なりとして、わろきをしりながら、いはずつゝみかくして、よさまにつくろひをらんは、たゞ師をのみたふとみて、道をば思はざる也、宣長は、道を尊み古ヘを思ひて、ひたぶるに道の明らかならん事を思ひ、古ヘの意のあきらかならんことをむねと思ふが故に、わたくしに師をたふとむことわりのかけむことをば、えしもかへり見ざることあるを、猶わろしと、そしらむ人はそしりてよ、そはせんかたなし、われは人にそしられじ、よき人にならむとて、道をまげ、古ヘの意をまげて、さてあるわざはえせずなん、これすなはちわが師の心なれば、かへりては師をたふとむにもあるべくや、そはいかにもあれ、
「わがをしへ子にいましめおくやう」
吾にしたがひて物まなばむともがらも、わが後に、又よきかむかへのいできたらむには、かならずわが説にななづみそ、わがあしきゆゑをいひて、よき考へをひろめよ、すべておのが人ををしふるは、道を明らかにせむとなれば、かにもかくにも、道をあきらかにせむぞ、吾を用ふるには有ける、道を思はで、いたづらにわれをたふとまんは、わが心にあらざるぞかし、
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『出雲国造神寿後釈』
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「宣長と出版」
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「国学はなぜ発展したか」
(C) 本居宣長記念館
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