本書は未定稿。宝暦13年に書かれたという説がこれまで定説となっていたが、あるいは翌明和元年、2年頃と考える人もいる。物のあわれ説を基軸とした和歌論である。従来は『排蘆小船』からの延長、展開と見られてきたが、あるいは和歌論から国学論への展開と考えた方が正確かも知れない。『国号考』の初稿にも当たる部分が入っていたりする。また「石上」というのは、古代への憧憬からの命名だ。
本書は宣長没後、文化13年(1816)に斎藤彦麿により刊行された。中断した巻3だけは除外し、2巻2冊本とした。1冊合本もある。序は岸本由豆流、藤原(斎藤)彦麻呂(麿)。附録、藤原彦麻呂。跋、高田与清(藤原常彦書)、片岡寛弘。刊記「文化十三歳次丙子初秋万笈堂英平吉蔵板」(附録末に載る)。万笈堂出版目録9丁添。その中に『石上私淑言』「鈴舎翁像」「鈴屋真蹟本末歌」の広告も載る。
その翌年、紀州藩主にも献上された。その間の事情を伝える大平の書簡が残っている。
「○私淑言は、故大人御好ノ物ニあらねとも、君前ニもよい物ちやとのやうに、御目にとまり候よし伝へ承り候」(文化14年5月29日付本居春庭、三井高蔭、殿村安守三人宛)
宣長自身は気に入らなかったようだが、藩主に見ていただくには適当だろうという判断が下されたのだ。(「鈴屋余響 その一」村岡典嗣『本居宣長全集月報第4号』)

『石上私淑言』
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