midashi_o.gif 佐佐木信綱の松阪時代(ササキノブツナノマツサカジダイ)

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 鈴鹿石薬師に生まれた信綱は、明治10年12月、家族と松阪に転居した。この年、6歳。翌年1月湊町小学校に入学。同15年、11歳の3月、上 京中の父から呼ばれ東京に移居した。約4年間の松阪生活であった。その時期のことは、後年さまざまなところで回想するが、よくまとまっている『ある老歌人の思ひ出−自伝と交友の面影−』(昭和28年10月。朝日新聞社)の一節と、弟である印東昌綱の歌集『家』に寄せた序の一部は、「明治初年の松阪」に引いておいた。
 また父親弘綱の日記、『佐々木弘綱年譜−幕末・維新期歌学派国学者の日記−』(皇學館大学神道研究所、神道資料叢刊)には、最も詳細な記事が載る。

 約4年間の松阪生活であったが、この時期の最大の産物が、「松阪の一夜」の題材を得たことであったことは言うまでもない。
 本居宣長記念館では、以前は、松阪町に着いた佐々木一家は塩屋町に落ち着き、しばらくして櫛屋町に移ったと紹介していたが、弘綱の記録により、
塩屋町は誤りで、平生町真行寺にまず居を定めたと訂正する。
 「湊町はさはる事ありて」と弘綱は『年譜』に書くが、湊町とは、やがて転居する櫛屋町のことであろうか。準備が整わなかったのかもしれない。
 櫛屋町は現在の湊町。当時、湊町には長井家という大家があって、その脇から、八雲通り、油屋町に抜ける筋が櫛屋町である。一家の住んだのは長井家の並びであったことや、逗留した高畠式部の思い出も信綱の回想に詳しい。


>>「佐佐木信綱の「松坂の一夜」
>>「明治初年の松阪」



(C) 本居宣長記念館


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