小津勝(オヅ・カツ)

 母・勝の深い配慮は宣長に大きな影響を与えた。

 宝永2年(1705)4月14日〜明和5年(1768)正月1日午の刻。64歳。
 小津定利後妻。松坂新町村田孫兵衛豊商四女。母は西町荒木太左衛門女・お初(光誉忍室元寿法尼、定治後妻のお勘は同母妹。享保13年(24歳)、小津定利と結婚。享保15年5月7日、富之助(宣長)同17年(1732)12月7日、おはん 同20年2月26日。親次、元文5年2月7日、しゅん出産。元文5年、36歳で夫定利が死去、以後4人の子を育てる。

  宣長は、

「すべて此恵勝大姉は、女ながら男にはまさりて、こゝろはかばかしく、さとくて、かゝるすぢの事(引用者注・資産管理)も、いとかしこくぞおはしける・・恵勝大姉のはからひは、かへすかへすも有がたくぞおぼゆる」
と感謝する。
  「遠キ慮リ」である。宝暦12年(1762)、宣長が民と結婚後、名を譲り、閏4月、信濃善光寺で剃髪する。


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