midashi_g.gif おのが京のやどりの事

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 享和元年(1801)宣長は最後の京都行きを行う。その時に滞在先となったのは四条烏丸であった。宣長青春の地でもある。
 帰ってから書いたのが「おのが京のやどりの事」と言う短い文章だが、宣長にとって京都が理想の地、と言うよりやっぱり京都が好きだ、という気持ちが伝わってくる文章である。

「 おのが京のやどりの事
のりなが、享和のはじめのとし、京にのぼりて在しほど、やどれりしところは、四条大路の南づらの、烏丸のひむかしなる所にぞ有けるを、家はやゝおくまりてなむ有ければ、物のけはひうとかりけれど、朝のほど夕ぐれなどには、門に立ち出つゝ見るに、道もひろくはればれしきに、ゆきかふ人しげく、いとにぎはゝしきは、ゐなかに住なれたるめうつし、こよなくて、めさむるこゝちなむしける、京といへど、なべてはかくしもあらぬを、此四条大路などは、ことににぎはゝしくなむありける、天の下三ところの大都(オオサト)の中に、江戸大坂は、あまり人のゆきゝ多く、らうがはしきを、よきほどのにぎはひにて、よろづの社々寺々など、古のよしあるおほく、思ひなしたふとく、すべて物きよらに、よろづの事みやびたるなど、天下(あめのした)に、すままほしき里は、さはいへど京をおきて、外にはなかりけり」(『玉勝間』巻13・1-398)



「宣長が借りた家の図面」


>>「京都滞在は面白い」
>>『享和元年上京日記』
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