荻生徂徠(オギュウ・ソライ)

 寛文6年(1666)2月16日〜享保13年(1728)1月19日。江戸中期の儒学者。名は双松(ナベマツ)。通称は惣右衛門。字は茂卿(シゲノリ)。物徂徠とも言う。父は徳川綱吉の侍医。故あって独学で儒学を修め、後に柳沢吉保に出仕。吉保失脚後は藩邸を出て学問に専念する。朱子学や伊藤仁斎の学を批判し、四書五経の正確な読解のための古代語重視の立場に立つ古文辞学を大成する。学問の特色は、道徳よりもむしろ客観的な秩序を重視する政治論に重きを置く。道とは古代聖人がうち立てた礼楽刑政にあるとする。また詩文を人間性の表現として道徳から解放した。弟子に太宰春台、服部南郭等がいて、政治論だけでなく幅広い影響を及ぼした。
 宣長の先生、堀景山は朱子学者だが、徂徠学にも関心を持ち、質問状を送ったことがある。その影響もあり、京都時代には、著作の書き抜きを行っている。また学問も、徂徠学から方法的にも大きな影響をうけた。


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