賑やか

 歌会、講釈、また四季には行楽に出かけ、静かな山林より賑やかな場所の方を好み、京都は四条烏丸あたりを好んだ。宣長はほかの人といるのが好きだった。人からの質問を大事にし、そこから自分の学問の領域を広げていった。
 また、宣長は教えることに倦むことがなかった。生涯に行った添削の数は膨大なものであったと思われる。だが、そのような集団の中でも、「個」の自覚があった。これは「連続と個」にも通じる。奥座敷での講釈や歌会を終えて人々が帰った後、宣長は一人「鈴屋」に上がって机に向かうのであった。奥座敷の宣長も、鈴屋の宣長もいる。

 「世々の物しり人、又今の世に学問する人などもみな、すみかは、里とほく静かなる山林を、住みよくこのましくするさまにのみ言ふなるを、われはいかなるにか、さらにさはおぼえず、たゞ人げしげくにぎはゝしきところの、好ましくて、さる世ばなれしたるところなどは、さびしくて、こころもしをるゝやうにぞおぼゆる。」
 『玉勝間』13の巻「しづかなる山林をすみよしといふ事」の一節。知識人の間では静かな所を住処とする事が常識であった。しかし宣長は、本当にそれで満足できるのかと自問する。既成の価値観に頼らず、自分の考えで判断をするのが宣長の態度であった。


> >「おのが京のやどりのこと」
> >「四条烏丸の宣長」



(C) 本居宣長記念館


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