midashi_o.gif 村井古巖(ムライコガン)

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 通称は菱屋新兵衛、名は敬義、号は古巌(こがん)、勤思堂。
 京都の人。初め呉服商。学問を好み、古書を愛して珍書奇籍を集め、書籍商に転じる。
 神宮、林崎文庫の再興を志した  荒木田尚賢 の呼びかけに応じて、天明4年、蔵書を献納する。
 献納本は、和書3707部。
 天明6年、奥州塩竃神社で没す。享年46歳。
 亡くなるまで手もとに置かれた蔵書は、弟により塩竃神社に献納された。

 宣長も敬義の蔵書の恩恵に浴した。
 天明3年には、『古事記』を古巌本の古写本で校合している。
                >>「『古事記』の校合」

 また、『村井敬義所蔵書目之内』1冊を写している。
 これには、古巌(こがん)村井敬義が所蔵する蔵書の一部、
120余りの書名を記す。
 『朝野群載』、『新猿楽記』、『琉球神道記』など多様な本が挙げられる。
 これらは宣長の旧蔵書と共通する書名も多く、恐らくは村井氏の本の写しであろう。

 また、
「古鈴の図」4枚
「駅鈴図」・「河内駒ヶ谷金剛輪寺什物鏡鈴図」・「駅路鈴真形図」
これも村井敬義の所持していた図の写しである。
「鈴之図」1冊1枚は、「尾州大館高門蔵古鈴之写」1枚と、
村井敬義所蔵本を写した「下総葛飾郡吾嬬神社神宝等」である。
「東大寺宝物」1巻は本居春庭(22歳)写。
今の正倉院文書だが、これも古巌本の写しと推定される。

 古巌は伊勢行きの途中、松坂にも来訪し、宣長と対面した。
『両節算用帳』1冊は宣長が参加していた嶺松院歌会、遍照寺歌会などの会計帳簿だが、
 天明5年正月15日条には、京都の村井古巌が、嶺松院歌会に来訪したことが記される。
 その時の菓子代も、大平取り替えで2匁と記録されている。
 参考までに、三井高蔭の日記を見ると古巌は、高蔭を訪問し、一緒に会に行ったことがわかる。


(C) 本居宣長記念館


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