松坂本町にある、本町、魚町の産土神。
宣長の『日記』元旦に「詣産神祠並町山神社」等と見える「産神祠」が本社である。
中里常守説(『本居宣長随筆』)に依れば、最初「世名浦大明神」、また「石津権現」と言い、世名浦三十余浦の海魚を神宮へ献じる神社であった。場所は、現在の松阪市石津町、荒木町あたりか。天正年間、本町大手筋伊豆蔵の近く、津嶋屋の裏に移すが、長野氏(代官・任期、元和5年〜寛永14)の時、現在地、本町馬喰町に遷座。
宣長との関わりでは、安永9年(1780)に修理終わり遷宮したときには歌3首を献じ、色紙が神宝として残る。天明5年(1785)には神社扁額の染筆を宣長より荒木田経雅に依頼。これも現存し、「御廚神社、祢宜正四位上荒木田神主経雅謹書」と刻す。裏には文字はない。また『古事記伝』刊行時には奉納し、宣長の書簡と共に今に伝わる。『毎朝拝神式』遙拝の一社。魚町宣長宅から約6分。
【参考文献】
『神道古典の研究』池山聰助著。
「御厨神社扁額」
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御厨神社
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>『毎朝拝神式』
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>「荒木田経雅」
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>「『古事記伝』の奉納」
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>「文台」
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>「御厨神社遷宮歌」
(C) 本居宣長記念館
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