先年、松阪市郊外にある櫛田神社で、9月4日「櫛の日」を前に、美容師さんによる祭礼が執り行われた。
宣長が櫛を集めていたという話がある。
「本居宣長は鈴屋と号し、古鈴、駅鈴の珍しいものをいろいろ集めていた。読書に倦み、書きものに疲れると鈴を振り鳴らして耳を傾け、気分をあらたにしてふたたび机にむかう。
宣長には別にもうひとつ、集めているものがあった。黄楊の櫛である。旅先で買ったのもあれば、門人がみやげに持ってきてくれたのもあった。宣長は自画像をいくつも描き残している。日本の学者にはめづらしい。どれを見ても、椿油につやつやと照った髪に、櫛目のすじがくっきりと立っている。」
「黄楊」杉本秀太郎(『花の図譜 春』平凡社※後に『花ごよみ』講談社学術文庫収載)
何から採った話かわからないが、原拠もきっと噂話を載せたのだろう。でも、いかにもありそうな話だ。
なるほど、例えば七十二歳像、白髪も混じる髪は櫛目も鮮やかに整えられている。鏡を机の側に置いていた宣長さんのこと、櫛もあった筈だ。
「宣長はオシャレだった」という指摘があるが、これは宣長さんを考える上で、重要な視点である。
男のくせにオシャレとはいやな奴と反発する人もいるが、そのような皮相な問題ではない。宣長は「見られる自分」ということを意識し、そのことが学問や生活、対人関係にまで及んでいるのである。「個」としての自分と言ってもよい。
「本居宣長七十二歳像」頭部
>>「書斎の鏡」
(C) 本居宣長記念館
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