個と連続

 宣長は生涯に厖大な記録を残している。
 例えば『日記』を誕生の日まで遡り起筆し、また後年には自画像を描く。『遺言書』は命日の決め方埋葬の仕方に及ぶ。これらは史家の目で記述した一人の人間の記録のようである。背後にあるのは、他の誰でもない自分という意識。この自己への関心が宣長の出発点であり、最終目標であった。「個」の自覚は、家の伝統を重視し、社会の慣習を重んじる、いわば「連続するもの」への尊重とバランスをとり続け、生涯破綻なく過ごす。

  宣長の価値判断の基準に「永続」がある。つまり、連続だ。天皇を頂点とする京都や和歌に及ぶ日本の文化伝統から、家の永続に至るまで、長く続くことを尊重し、また希求していた。その象徴的な現れが15歳の時に写した『神器伝授図』であり、『職原抄支流』である。

 その長く糸のようにのびる時間の流れの中の一つの点としての「自分」と言う認識。その一つ一つの点には個としての意味があると考えていた。
 例えば、宣長の墓はなぜ二つあるのか。樹敬寺は小津から本居へと続く家の流れの中の構成員としての墓である。奥墓は、個としての墓である。門人など彼の学を慕う人が訪うて来たときに教えるのは奥墓であるのは、それは宣長という個人を慕ってきたのであり、本居家の一員を慕って来たのではないからだ。本居家においては宣長は「高岳院石上道啓居士」として、一方、小西春村や門人は「秋津彦美豆桜根大人」として祀ったのもそのような区別があると言えよう。


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(C) 本居宣長記念館


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