midashi_b 宣長の『古事記』観

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 『うひ山ふみ』の中で『古事記』について次のように語っている。

 「道を知るためには第一に『古事記』である。神典は、『先代旧事本紀』、『古事記』、『日本書紀』を昔から、三部の書と言って、その中でも研究したり読んだりするのは『日本書紀』が中心で、次が『先代旧事本紀』、これは聖徳太子の御撰であるとして尊び、『古事記』はあまり重視されなかず、特にこの本に注目する人もいなかった。それが少し前からやっと『先代旧事本紀』は偽書だということになり、『古事記』が注目されるようになった。これはまったく私の先生・賀茂真淵によって学問が開けてきたおかげである。本当に『古事記』は、漢文の文飾無く、ただ、古えからの伝説のままにて、記述の仕方も昔のままで他に例が無く、上代のことを知る上でこれに勝る本はなく、また「神代」のことも『日本書紀』より詳しくたくさん書かれているので、「道を知る」と言う目的からは第一の古典だ。古学を学ぼうとする者が、最も尊み、学ぶのは本書でなければならない。そのために私は壮年より、数十年の間、心力を尽くして、『古事記伝』44巻を執筆し、古学の道しるべとしてきた。『古事記』は、古伝説のままを記述した本なのに、文章が漢文のようではないかと思われるかもしれないが、奈良時代までは仮名が無く、文章は漢文で書いていたためである。そもそも文字や本は、もともとは中国から伝わってきたもので、日本に伝来しても使用法はむこうのままで書き始めた。ひらがなやカタカナが出来たのは平安時代以降だ。好きで漢文で書いたのではない。これしか方法がなかったのだ」

【原文】
「道をしらんためには、殊に古事記を先とすべし、まづ神典は、旧事紀、古事記、日本紀を昔より、三部の本書といひて、其中に世の学者の学ぶところ、日本紀をむねとし、次に旧事紀は、聖徳太子の御撰として、これを用ひて、古事記をば、さのみたふとまず、深く心を用る人もなかりし也、然るに近き世に至りてやうやう、旧事紀は信の書にあらず、後の人の撰び成せる物なることをしりそめて、今はをさをさこれを用る人はなきやうになりて、古事記のたふときことをしれる人多くなれる、これ全く吾師ノ大人の教ヘによりて、学問の道大にひらけたるが故也。まことに古事記は、漢文のかざりをまじへたることなどなく、ただ、古へよりの伝説のまゝにて、記しざまいといとめでたく、上代の有さまをしるにこれにしく物なく、そのうへ神代の事も、書紀よりは、つぶさに多くしるされたれば、道をしる第一の古典にして、古学のともがらの、尤尊み学ぶべきは此書也、然るゆゑに、己レ壮年より、数十年の間、心力を尽くして、此記の伝四十四巻をあらはして、いにしへ学ビのしるべとせり。さて此記は、古伝説のまゝにしるせる書なるに、その文のなほ漢文ざまなるはいかにといふに、奈良の御代までは、仮字文といふことはなかりし故に、書はおしなべて漢文に書るならひなりき。そもそも文字書籍は、もと漢国より出たる物なれば、皇国に渡り来ても、その用ひやう、かの国にて物をしるす法のままにならひて書キそめたるにて、こゝかしこと、語のふりはたがへることあれども、片仮字も平仮字もなき以前は、はじめよりのならひのまゝに、物はみな漢文に書たりし也。仮字文といふ物は、いろは仮字出来て後の事也、いろは仮字は、今の京になりて後に、出来たり。されば古書のみな漢文なるは、古への世のなべてならひにこそあれ。後世のごとく、好みて漢文に書けるにはあらず。」『うひ山ふみ』



>>「『直霊』の諸本」



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