刊行された『古事記伝』は清浄本を作り神社に奉納された。
寛政2年(1790)9月12日付横井千秋宛書簡に
「一、記伝開本、此節出来仕候ニ付、兼々申上候通、清浄本三帙外ニ二帙被下置、千万忝仕合ニ存奉候、右清浄本三帙ハ、当地神社へ方々奉納仕云々」
また
「同書(『古事記伝』)初摺本両大神宮熱田宮へも御奉納相済申候由、大悦奉存候」 とあることから、伊勢両宮、熱田神宮、松坂の神社三社であったことが分かる。松坂の三社は恐らく八雲、御厨、山神社であったかと推測されるが、確証はない。だが御厨神社が含まれることは、同社所蔵の宣長書簡から明らかである。
また、寛政4年閏2月28日付、横井千秋宛書簡では、第2帙清浄本2部が松坂に送られたことと、両宮への奉納が行われた謝意が述べられる。第2帙で2部と減じているのは、『諸用帳』に記載される第一帙奉納時の初穂料「(寛政二年十月)十日、三匁 奉納書初穂」(宣長全集・19-579)が、寛政4年3月6日には「一、二匁 記伝奉納初穂」(宣長全集・19-605)と1匁減じたことと相応し、奉納先が減ったことが推測される。
御厨神社『古事記伝』箱
|
|
御厨神社『古事記伝』内部
|
|
御厨神社『古事記伝』奉納書簡
|
>>
「御厨神社」
>>
「山の神」
(C) 本居宣長記念館
|