midashi_o.gif 清原(キヨハラ)

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 宣長が一時使用した姓。
 初見は、寛延元年(1748・19歳)に始まる自詠を集めた『栄貞詠草』(巻頭「寛延元年戊辰、詠和歌、清原栄貞」)だが、本書の編集はもう少し遅れる。
 この書以外では、宝暦3年(1753)『鈴屋百首歌 一』が最初。下限は宝暦13年(1763)12月12日書写『実隆公百首、道堅尭空名所百首、後柏原院実隆公御百首、実隆公四文字題百首』の奥書「清舜庵」。

 清原姓の根拠は宣長の家系にはその根拠が見出せない。あるいは、歴史上屈指の碩学・清原宣賢(1475〜1550)への憧れからであろうか。18歳頃から作成した『端原氏物語系図』の主人公・端原宣政、宣繁親子の命名とも関係があるのかもしれない。「宣長」という名前を含めて考える必要がありそうだ。また、『百人一首改観抄』奥書「宝暦十年庚辰十月九日夜開席予講談此抄同年十二月十二日夜終業(清)蕣庵宣長、右頭書傍之内称師云ハ先師賀茂県主ノ作此百首古説之義也」の「清」の文字は貼り紙により抹消する。つまり「清原」姓は宣長の中から消されていく運命にあった。


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