記録の人

 宣長は「記録の人」である。その記録には2種類ある。自分に関するものと日常の記録だ。

 宣長は、自分に関する記録をたくさん残している。13歳の時から『日記』を書き始めたが、その第1ページは生まれた日の記事。亡くなる1年前には『遺言書』で、葬儀の次第を細かく指示した。だから命日を宣長の指示どおりに定めて書き加えれば、生まれた日のことや、誰から勉強を教わったのか、いつどのような本を書いたのかなどを、彼自身の筆でたどることができる。また、宣長には四十四歳と六十一歳の時に描いた自画像もある。
  なぜ自分の記録を残すのか、自画像を描くのか。宣長のこれらの行為の内には「自分」に対する関心が一貫してあった。自分の探求である。

 日常の記録も多い。ただ、なんでも書くというのではなく、必要なことをきちんと日記や諸記録に書き留めるというタイプの、効率の良いやり方だったようである。この几帳面さは、商人として成功した先祖譲りだったのかも知れない。
 宣長の行動の基本は、日々の生活の重視。門人村上円方に贈った歌に、

 「家のなり(業)なおこたりそねみやびをの書はよむとも歌はよむ共」

という一首がある(宣長70歳)。

 医療も近所、親戚付き合いはいわば俗事だ。その俗事をいかにそつなくこなすか。まめやかに努めるかに宣長は腐心した。これらたくさんの記録類は、松坂の一町人としての生活のマニュアルであったとも言える。


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(C) 本居宣長記念館


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