宝暦2年(1752)3月、上京した宣長は『百人一首改観抄』を借りて読み、初めて契沖という人の学問に接する。貸したのは刊行に携わった景山だろうか。当時のことを次のように回想している。「京に在しほどに、百人一首の改観抄を、人にかりて見て、はじめて契沖といひし人の説をしり、そのよにすぐれたるほどをもしりて、此人のあらはしたる物、余材抄勢語臆断などをはじめ、其外もつぎつぎに、もとめ出て見けるほどに、すべて歌まなびのすぢの、よきあしきけぢめをも、やうやうにわきまへさとりつ」
(『玉勝間』巻2「おのが物まなびの有しやう」)
本書との出会いは、生涯を決定づける。その後、宣長は苦労して本書を入手する。購求したのは4年後の宝暦6年12月。代価は9匁5分。5巻を2冊にしたとはいうものの、2冊会わせて148丁の本である。その割には値段が高い。その直前7月に買った『旧事記』、『古事記』は8冊で10匁2分。10月に買った『万葉集』は20冊で35匁。何れも嵩物である。同じ契沖でも、宝暦9年閏7月に買った『和字正濫抄』は5冊で200丁余りありながら7匁8分である。「からくして得た」と書いているが実感が籠もっている。
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