midashi_o.gif 神に祀られた宣長

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 寛政12年7月、宣長は『遺言書』で、自分の没後には「秋津彦瑞桜根大人」(アキヅヒコミヅサクラネノウシ)として霊牌を作り祭祀を行うように指示した。この霊牌は、本居家以外でも、例えば次男春村の小西家でも用意され祀られていた。

 これとは別に、小泉見庵墓の脇にある宣長歌碑に「山室山人先生」と書かれるのも、やはり没した宣長を一種神格化する思想に根ざすとも言える。このような私的な祭祀以外にも、宣長を祀る動きは早くから出てきた。

 確認できる一番最初は、門人・千家俊信である。俊信は自邸に、師からの手紙33通と、『古事記伝』執筆の時に使用した筆を神体とし玉鉾神社を創祀した。また、嘉永3年(1850)には、本居内遠の門人森田道衣が「秋津彦瑞桜根大人」を主祭神とする「桜木神社」を、現在の埼玉県所沢市に創建した。また、明治4年(1871)には、山室山奥墓の傍らで宣長を祀る祠が出来た。やがてこれが「山室山神社」となる。



>>「魂の行方」
>>「奥墓」
>>「山室山神社」
>>「歌碑の謎 宣長歌碑はなぜ建てられたのか」



(C) 本居宣長記念館


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