瓶の桜

 桜を見て宣長は何を考えているのだろう。
 この像の一つのポイントは花瓶の山桜にある。
「桜を伐って、何の生け花ぞ・・桜はやっぱり、土に植えといた方がよろしな」とは水上勉『桜守』の一節だが、これは桜を愛好する人に誰しも共通するところである。ではなぜ活けてあるのか。謎を解く鍵は古典にある。日本美術が『古今集』や『源氏物語』『伊勢物語』など古典文学に画題を求めている例は枚挙に暇がない。この花瓶の桜を眺めるというのもやはり古典に典拠がある。満開の桜、それを瓶に生けると言うと、普通には『後撰集』や『枕草子』あたりであろうか。いずれが典拠となったかで絵の持つ雰囲気は変わってくる。
『後撰集』に次の贈答歌(82,83番)がある。

  桜の花の瓶にさせりけるが散りけるを
  見て、中務につかはしける
               つらゆき
 ひさしかれあだに散るなと桜花
     瓶に挿せれどうつろひにけり

  返し
 千世ふべき瓶に挿せれど桜花
     とまらむ事は常にやはあらぬ

 この歌は、瓶(かめ)を不老長寿の亀に重ねて桜の散り易さ、人の心の移ろい易さを歌う。「もののあはれ」の世界である。貫之の歌は『拾遺集』にも重載し、そこでは桜の送り先が異なるが、画題としては特に重要な異同ではない。一方『枕草子』は第2段目、月々の頃おいを描いた章に「おもしろく咲きたる桜を、長く折りて、大きなる瓶に挿したるこそをかしけれ」と、一転「をかし」の世界となる。
 この44歳像では、散る花片からやはり『後撰集』の世界であろうか。またそれのほうが宣長の表情からも相応しいように思える。瓶に挿した桜は、散らぬ事を願う心の象徴ではあるが、それでも散るので一層想いは募る。この絵にはそのような宣長の気持ちが込められていると読むことが出来よう。
 この絵に、古典と言う日本の伝統的な美意識が影を落としているとするならば、44歳像は和歌を詠む姿であるのかもしれない。。
「本居宣長四十四歳自画自賛像」(瓶の桜部分)

「本居宣長四十四歳
自画自賛像」
(瓶の桜部分)

らんさん

ら ん

和歌子

和歌子さん
ら ん 桜って何か意味があるの?
和歌子 桜は宣長の分身とも言うべきものです。


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