和泉真国(イズミ・マクニ)

 明和2年(1765)?〜文化2年(1805)5月7日。江戸の人。通称東吉郎。屋号渡辺屋。宣長門人。宣長に心酔した。村田春海の令の講義に対して疑問を呈したことを発端に論争となった。この時の真国の主張をまとめたのが『明道書』である。
 ところで、『和泉真国画像』と言うのがあった。現在所在不明だが、なかなか面白い画像だったようなのでちょっと紹介文を引いてみよう。

 「肖像画」(『佐佐木信綱随筆集 雲』京都印書館、昭和23年12月刊)に、「一日三村竹清翁を訪うたに、翁はさきに得られた和泉真国の肖像一幅を示された。それは斎藤彦麿が描いて、上部に曽槃が、真国の長歌言挙歌と反歌三首とを細楷で精写し、それに小伝が附してあつて、没日や内君の名もこれによつて明らめ得られるのである。そのことは三村翁が「集古」に書かれるはずであるから、自分はその像のことのみを記さう。像は裃を着用して端座した彩色の図で、向つて右手の床には宣長の歌の幅の半が見えてをり、「みゝなしうねひかぐ山 宣長」とあり、背後には二段に積まれた九箇の本箱があつて、其の蓋に、上段の第一には、日本書紀から三代実録まで、第二には類聚国史、第三には律、令義解、類聚三代格、延喜式、第四のところにも上段にも本が積みかさねてある。下段第一には古訓古事記、古事記伝、第二は像に隠れて見えず、第三には万葉集、二十一代集、第四には礼儀類典、第五には須受乃屋群書と書いた紙が貼つてあり、其の蔵書の一般、随つてその学風も知られて、まことに興味深い画像であつた。道麿の像を語つて間もなく、斯うした品を見たことの因縁も奇しく、ここに備忘のため記しておく」(P129)とある。

 「須受乃屋群書」、つまり宣長著作群とは洒落てるね。床の間の軸が宣長というのは、真国だけではないぞ。


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