『古事記』中巻、「仲哀天皇」の条に鼻の欠けたイルカが登場します。
後に応神天皇となる太子が敦賀に宿った夜、夢にその地の神様が現れ、名前をさしあげましょう、明日の朝、改名のお祝いの贈り物を浜辺に置いておきますと告げられた。その贈り物が、浜を覆いつくすほどのたくさんの鼻の欠けたイルカだった。
さて、イルカを見たことがなかった宣長は、この箇所を読んで首をひねります。
なぜ鼻が欠けているのか。そもそもイルカってなんだ?
『古事記伝』草稿本では、「私はイルカを知らないから自信はない」と問題を留保しました。
こうして「イルカ問題」は、宣長の頭の引く出しに大切に仕舞い込まれます。
やがて日が立ち、イルカに詳しい人がいるという情報がもたらされ、やがてその生態のレポートが届けられました。それが、古座浦(今の和歌山県東牟婁郡串本町)に住む漁師・久七の談話でした。
レポートは、使用していた『古事記』の該当箇所に貼り付けられ、再稿本執筆の時に活用されたのです。
「イルカ鯨の事、いるかの千本づれと申候て、数多くつれ沖よりをか(丘)寄るも、又をか(丘)より沖に出るも、かしら(頭)もたげてくろて来るもの也、釣には一向かからぬ物にて、早き事船に櫓五丁だて候ても近付がたく、依て見付次第もりを負せそのもりにや縄と申て四十ひろの縄をつけ、此はしに浮けを付る。扨もり負なから行を又尋て二のもりを負せぜひに取り申也。一本取り候へば必ず二本とれ候。其故はもりを負候へばあまたの内に友をいたはるが一本は必ず遠くは行ざる也。扨此鯨を心がけて取るといふにはあらず。見当り候時ばかり取候也。至極の大は一丈二尺、夫より九尺位のところ多候よし。右紀州古座浦久七と申猟師に人して尋申候」
真淵は宣長に「参宮人などに問い給え」と教えたが、旅人のもたらす情報は、宣長の研究をいっそう豊かにした。
『古事記』イルカのレポート
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