後の大平。宝暦6年(1756)〜天保4年(1833)9月11日。享年78歳。稲懸棟隆の長男。12歳の時、隣の竹内元之に四書五経を習い、13歳の時から宣長の下で本格的に勉強を始めた。また、宣長の側に居る須賀直見にも習う。
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ら ん
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和歌子
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ら ん |
勉強家ね。 |
和歌子 |
大平は、「私は勉強や学問が秀でているから宣長先生の養子になったのではありません。12、3の頃から先生の下で勉強を始めましたが、先生を思う心は他の人以上に強かっただけです。何も深い学問を継承しようとしたわけでもなく、ただ初歩的なこと、歌や文章の書き方を習っている子どもに過ぎなかったのです」と言っています。
大変真面目な人だったので宣長は養子としたのでしょう。図の中では一番長生きして、記念館所蔵の「鈴屋円居の図」を写させました。常雄と同じく『菅笠日記』の時のメンバーの一人です。 |
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「鈴屋円居の図」大平アップ。 |
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松坂近郊編」
(C) 本居宣長記念館
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