midashi_o.gif 壱岐(イキ)

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 春庭の妻。安永10年(1781)正月24日夜、松坂新町に村田親次、知加の四女として生まれた。寛政9年(1797)12月16日、17歳で従兄・本居春庭の妻となり入家、翌10年(1798)正月22日、晴れて婚礼を挙げた。子供は娘・伊豆と息子・有郷。
 縁談当初は「とかく物書き候事、今少しらち明き申さず、間に合ひまじく」と、教養面で宣長の目からは不足の言葉も聞かれた。考えてみれば、春庭の俊敏な頭脳に即応できるような才媛が近在にいるはずはない。望蜀の嘆というものだ。
 だが、義姉、美濃等の薫陶宜しく、歌を詠み、また夫の代筆を勤めた。その中でもよく知られたものに柱掛鈴の由緒がある。足立巻一は言う。

「壱岐の字は美しかった。格別すぐれた手跡というわけではないが、やわらかで素直で、奔放なほどのびのびしている。
 この記事が書かれたのは文政五年冬である、春庭は六十歳、壱岐は四十二歳、結婚してすでに二十五年の歳月が経過し、長女伊豆はこの年に松阪の浜田伝右衛門にとつぎ、長男有郷を小津清左衛門の養子にした。その二十五年の生活が、この鈴の記事に象徴されているように思われたのである。」(『やちまた』上巻P214)

 天保12年(1841)閏正月23日没。享年61歳。戒名は雅静院淑和恵厚大姉。夫婦の墓は樹敬寺にある。

【参考文献】
『本居壱岐女の歌』出丸恒雄編、光書房。


>>「本居春庭」
>>「柱掛鈴の由緒」



(C) 本居宣長記念館


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