宝暦7年(1757)〜文政5年(1822)。肥後国山鹿郡(熊本県山鹿市)久原村の天目一神社の神主。天明6年(1786)に初めて松坂来訪。寛政3年(1791)東行の途中、往復二回寄る。この時は、杉谷彝(スギタニ・ツネ)も同伴した。寛政10年(1798)にも、また享和元年(1801)にも松坂を訪れる。
松坂では専ら宣長の著書を写した。その写本は散逸したが、奥書だけは記録が残っている。それを見ると、宣長全集を全部写しているのではと思う程、膨大な量である。
それを九州に持って帰り、多くの人に貸し、宣長の学問を普及するのに功績があった。
京を連れてきたのは、享和元年に来訪時で、この時は妻も同伴した。京15歳も父を手伝い『古事記伝』を写す。
『盈嚢集』は帆足長秋が寛政3年(1791)松坂を訪問した時の歌を中心とする紀行文。1冊。写
本。当時の松坂を知る上で貴重な本である。

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「従五位下行下総守
清原真人長秋之墓」
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「帆足長秋、京先生像」
(山鹿市立博物館前)
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