宝暦7年(1757)〜文化8年(1811)。享年55歳。通称新二郎、また武右衛門。実は、豪商中里新三郎の長男。安永2年11月9日に大手町にあった豪商長谷川家南家の養子となる。
絵の中では一番若い。大平が7.8歳の頃からの遊び友達で、明和9年の吉野飛鳥行きにも同行し、『菅笠日記』には中里常雄の名前で出ている。第2回『源氏物語』講釈を聴講。熱心な門人だった。
常雄が継いだ長谷川家は、今も残る豪商長谷川家の別家。同家はもと本家と東家からなっていた。四代目の時、その弟二人がそれぞれ南家亀屋、西家戎屋を起こし、南家の二代目が宣長門人長谷川常雄である。
この絵の原本「明和年間本居社中歌仙像」は常雄が所持していた。彼が描かせたのかもしれない。
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ら ん
常雄の顔は正確かもしれないね。依頼者とぜんぜん違う顔、描かないもんね。 |
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>>「代表的な門人
松坂近郊編」
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